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風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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落葉栽培のウド

明日から「みなかみ3ダム 春の点検大放流」が始まり、今年は藤原ダムへ見学に行くため今日から山荘に向かった。長女も会社を休んで行くというので、昼前に我家に来て昼食の担々麵を食べた後出発。

平日の午後とあって関越の下りはガラガラ、買い物を済ませすんなり山荘へ。明川に入る山道の前で車を止めた。妻曰くここにミツバが出るので摘んでいくのだという。
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この辺りは今藤の花盛り。
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夕刻の庭。先週まで庭の改造をしていたので殺風景感はなくなった。
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ムスカリと金魚草。
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東京から持ち込んだピエール・ド・ロンサールの台木の薔薇。
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ひとしきり庭を見回った後、先週はまだ早かった落葉栽培のウドを見に行く。芽をのぞかせている落ち葉の山があったので掘り返すと、期待通りに白い茎をのばしたウドが4本現れた。3人なので4本もあれば十分。
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夜はウドの酢味噌和えと天ぷら、ミツバのおひたし、庭で雑草として生えているフキの炒め物、そしてアスパラガス畑からチンアナゴのように生えていた菜箸ほどの太さの茹でたアスパラガスと山菜づくし。採りたてとあって白いウドが前回にもまして旨く、ミツバは野性なので香りが強く酢味噌でいただくとバカうま、そしてチンアナゴのアスパラが想像に反して柔らかく何もつけなくても十分な美味しさだった。

ウドの落葉栽培の有効性が実証されたことから、今年の秋も大々的にやろうということになった。
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授業参観

発行所の仕事のある日だったが、三年生の上の子と一年生になった真ん中の子の授業参観日で、事前に入場券を貰うと
参観できるというので行ってきた。校庭には運動会などで何回か入ったが、校舎内は初めて。ここは小学校と中学校の一貫教育という渋谷区立の公立校である。下の画像は昨年秋の運動会の時に撮影したもの。
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一年生は一階、入り口を入ると左手に一年生の教室が並んでいる。教室の廊下側に壁はなくオープン、広い廊下にはランドセルなどを入れる棚が並んでいる。親などは教室に入って後ろから参観できるが、廊下側からも参観できる。授業は算数、プラスチック製の何か小さなものが10個入ったプラカップが各自に与えられ、一個はカップに、9個を両手に隠し持ち、子供同士が動き回って片手を開き、もう片方に何個あるかを互いに当てるゲームみたいなことをしていた。これが算数。自分が一年生の時にどんな算数の授業だったか覚えていないが、ずいぶん指導方法は変わっているのだろう。
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三階には小学三年生の教室。二人とも背が高い方なので一番後ろの席だった。こちらは割り算で、8÷4=2,、4÷4=1の後、、0÷4=?などということをやっていた。先生が子供にいくつでしょう?と質問すると、多くの子が手を挙げる。当てられた子が答え、なぜ0なのかの理由を説明させられていた。そこで引き上げたがなかなか興味深い授業だった。0の概念がテーマだったらしい。

校内は真ん中が吹き抜けになっていて、三年生の教室と反対側の教室群。なぜか誰もいなかった。
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空いていた教室。
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「NHKスペシャル・福島モノローグ 2011‐2024」の補足

日曜日、吉高由里子と柄本佑の大河ドラマの後、なし崩し的に始まった「NHKスペシャル・福島モノローグ 2011‐2024」を観た。NHKのHPによる番組の概要はこんな感じ。

原発事故以降350頭以上の家畜やペットを餓死から救い続けた松村。震災10年目からは放置された農地の再生に格闘する。多くの農家が耕作を諦め、太陽光発電会社に田畑を貸す中、独力で米作りを再開した。避難指示の解除から7年が過ぎても、町の人口はかつての7分の1ほど。帰還した住民の多くは高齢者だ。孤独な日々を過ごす帰還者に故郷の味を届けようと、松村は孤軍奮闘を続ける。困難に立ち向かい続ける男の信念を描く。

福島原発事故の後日譚としてのドキュメンタリー番組で、いわば文学作品、放射線量がどうのこうのという無粋な単語は一度も現れなかった。

5月12日(日)21時放映 20240512NHKスペシャル

この話はドキュメンタリー映画としてマイナーに公開されたらしい。NHKの概要説明では背景がよくわからないので情報を探すと、その映画監督で現在はNHKなどを中心にドキュメンタリーや旅番組、震災関連番組のディクレクターとして活動する中村真夕氏のブログを発見。そこに少々詳しい話が書かれていたので以下に再構築させていただく。

・2011年3月、原発事故により町は警戒区域となり全町避難となった富岡町。町民全員が家を追われ、家畜は全て殺処分が命じられた。

・人がいなくなった町にはお腹をすかせた犬猫や、家畜があふれていた。そんな町に一人残った松村直登(55歳)は、殺処分を拒否した畜主から預かった牛たち約30頭ほどや動物たちに必死にエサを与え続けた。

・2013年3月、政府は警戒区域の見直しを行い、ナオトの自宅とその近くにある牧場は「避難解除指示準備区域」となり、午前9時から午後3時まで出入りが自由になった。空間線量は毎時2−3マイクロシーベルトと依然高く、「帰還困難区域」にあるナオトのもう一つの牧場の空間線量は毎時5マイクロシーベルトあり、そこにナオトは朝晩通い、牛たちの世話をしている。


状況が大部見えてきた。そこで気になるのが富岡町の残存空間線量率。2016年2月4日に「放射線量分布の現在」なる記事を書いた→こちら

そこに福島原発と富岡町の位置関係、当時の空間放射線量率の分布図などが掲載されている。まず原発と富岡町の位置関係、そしての松村直登の居住地の同定から。福島原発は大熊町に位置する(下図の13の赤丸)。その南側に位置するのが富岡町。上記のブログの記載から、氏の住居は緑色の「避難解除指示準備区域」であるから町の南部にあることがわかる。ただし、その北部の「帰還困難区域」にも毎日通っていた。
20240512福島避難区域

松村直登氏が原発事故の放射線にどの程度の認識を持たれていたのかは分からない。しかし、自らの死を覚悟してまで犬猫に餌をやるため町民全員が避難した街に一人だけ残るとは思い難い。また氏のブログには日本語の下に英文を付けていたからある程度の知識レベルの方と見られ、放射線の話を知らないわけではないだろう。一方、事故直後から富岡町にとどまっていることから原発事故による放射線量は無害レベルという知識を後日得たわけでもない。なぜ一人残った?という疑問は消せない。

さて、富岡町の放射線量はいかほどだったのか?事故から一か月半後に最初の(第一次)線量率(マイクロシーベルト/時)が公表された。事故当初の線量率はこれよりはるかに高かったと想定して良い。氏の居住地区は黄色すなわち4‐10μSv/hだったようだ。北の牧場では10‐19μSv/h。この図の表示だけから見ると高い放射線量となるが、通常の放射線量の単位であるミリシーベルトで書けば0.01-0.02ミリSv、微量と言って差し支えないれべるである。
20240512放射線分布マップ1再掲

3年半後の2014年11月の線量率分布。最初の値より半分以下に減少している。
20240512放射線分布マップ2再掲

避難指示とは生命に喫緊のリスク、言い換えると明らかな死もしくは健康体に異常が発生する確率が高いと想定された場合に発令されるものかと思う。NHKのプロデューサーがいかなる認識をしていたか分からないが、番組は町民全員避難というレベルの放射線に晒された一人の人間の人体実験の紹介でもあった。



そして13年間の経過観察で判明したことは、サンプルはひとりとは言え、何も問題は生じなかった、という不都合な真実であった。

今年の一月に「洗脳戦」なる記事を書き、新聞テレビ行政による国民の洗脳により生じた被害例の筆頭として取り上げたのが「1)福島原発避難命令にともなう災害関連死」であった。1000名を超える方々が避難先で亡くなられた。→こちら

その記事に貼った資料の一つがこちら。初出はちょうど10年前の2014年5月である。宇宙飛行士は一日当たり、1000マイクロシーベルト(=約40μSv/h)を被曝するとJAXAが明記している。
被ばく2

事実は事実であって誰が書いたかは問題ではないのだが、今年の3月の日経新聞に福島の線量率であれば健康に何の問題もないと二人の専門家が寄稿されていて、これもブログの記事にした。世に媚びることなく昂然と真実を述べられる方が少数であれ存在し、記事にする新聞があるのは日本の微かな救い→こちら

白いウド

気象予報士のお姉さんやおじさんが言っていた通りに朝から雨。もっともこんな予想天気図を見せられたら、小学生でも明日は雨、と答えるだろう。見事に前線に沿って日本中に雨が降っている。こちらの雨は時間雨量で2.0から3.5ミリとたいしたことはない。
20240513.jpg 20240513レーダー

今日は帰る日とあって雨が降らなくても大きな作業は残っていないのでどうということはなく、気分的にゆったりと雨に打たれる大改造後の庭の鑑賞。
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雨のウワミズザクラ。
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ウワミズザクラの下がウド畑。一昨年から試み、進化したウドの落葉栽培が功を発しているらしくまだウドは芽をだしていない。帰る時に二か所の落葉をかき分けると、落葉に埋もれて真っ白なウドの芽が伸びつつあった。まだウドの芽の形も定かでなくまるで胎児のよう。香りも薄かったが家に二本持ち帰ると妻が茹でて酢味噌にしてくれた。淡い香りと甘みが調和して絶妙の美味さ、商品として並ぶウドは成長して地上に芽がでたもの。その時は今の体積の8倍ぐらいになるわけだから未熟のウドがお店に並ぶことはない。こんなウドを食べることができるのは贅沢の限りかと思う。
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来週の週末に藤原ダムの大放水があり、また来る予定。その時はきっとちょうどよく育ったウドが芽を出していることだろう。

正解はウワミズザクラ

ウワミズザクラとイヌザクラの違いが分かったので、今朝現場検証した。

両方とも花の集合の花序を形成するが決定的な違いがあって、花序のついている枝にウワミズザクラは葉があるが、イヌザクラには葉がなく、いきなり枝から花序が付いているという。現場検証すると花序の下に葉が五枚ほど付いていた。だからウワミズザクラ。
証拠写真 20240512-02.jpg

イヌザクラの場合 20240512イヌザクラの花

もう一つの特徴が葉の形。ウワミズザクラ。の葉は周りに細かなギザギザがあるが、イヌザクラにはない。花のない季節に、桜の木肌の木を見つけたら、葉を一枚とって眺めてから「これはウワミズザクラだな」と呟くとカッコいいかもしれない。ただ誰も興味を持たず無視されるのが難点。

証拠写真 20240512-03.jpg

イヌザクラの場合 20240512イヌザクラの葉

ということで朝湯に浸かってのウワミズザクラの鑑賞。イヌザクラだと
   朝の湯の森に万朶のイヌザクラ
と俳句のようなものができるがウワズミザクラだとリズムが悪く誰も採ってくれない、イヌザクラでも同じだとは思うが。
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正面がウワミズザクラ。左端に小さなウワミズザクラがあり、右から二本目は根元から二股になっているのでここだけで見かけは5本あり、南側に一本の計6本のウワミズザクラがあることになる。
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なぜウワミズザクラがイヌザクラになったのか?話は2019年に遡る。ブログにも記したが、11月に平成の大嘗祭に関する記事が週刊新潮に掲載されていたので購入した。小見出しに「ウワミズザクラを探せ!」とあったので買う気になった。そこブログからのコピペ。
大嘗祭において供される神饌の内、稲については特に重要視される。稲を収穫する田を「斎田」といい、大嘗祭はこれを選定するところから始まる。 斎田は、亀卜を用いて決定される(斎田点定の儀)。神殿にて掌典職が拝礼したあとに前庭に設営された斎舎にて斎行され、これにより都道府県が決定される。亀卜の亀甲にはアオウミガメが使われる。亀卜はこの亀甲を熱して、入ったヒビの具合で吉凶を見る占いだが、この亀甲を熱する火は、ウワミズザクラを燃やしたものと決められているそうだ。

新潮の記事は元宮内庁掌典補として儀礼を支えた方の、平成の大嘗祭の話。氏はウワミズザクラがどこに生えているか見当もつかなかったそうだ。それで「ウワミズザクラを探せ!」。桜なら吉野ということで探したようだが、最終的に奈良県庁の林野関係の人が山中を彷徨い探してくれていたものを得て事なきを得たそうだ。

ウワミズザクラとイヌザクラが似ていることは知っていたので、ウワミズザクラがこんなところにあるわけはないと決めつけ、下々の庭に生えるのはイヌザクラと決めつけた。しかし今回、我が山荘には大嘗祭に使われるウワミズザクラが6本もあることがわかった。次回の大嘗祭の折には宮内庁によろしかったらお使いくださいませと連絡してあげようかな。

下から見上げたお隣さんの大ウワミズザクラ。
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