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風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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古代ヤポネシア

先日の朝刊にこんな記事があり目を止めた。記事のアタマの方をコピペするとこんな内容;

理化学研究所の寺尾知可史チームリーダーらは3000人以上の日本人のゲノム(全遺伝情報)データを解析し、日本人の祖先には大きく3つの系統が関わっているとの研究成果をまとめた。日本人の祖先は縄文人と弥生人の大きく2系統としてきた定説の修正につながる可能性がある。

研究チームは、東京大学や理研が運営する日本人の遺伝情報のデータベース「バイオバンク・ジャパン」を使って、北海道から沖縄までの全国7地域から集めた計3256人分のDNAの全配列を詳細に分析した。

その結果、日本人の集団は3つの祖先系統が混ざって成り立ったと仮定すると、各地域の遺伝子配列の違いをうまく説明できることが分かった。3つの祖先系統のDNAはそれぞれ現代の沖縄、東北、関西の人々に比較的多く受け継がれている。

日経新聞4月18日 20240418日本人の祖先

何がポイントだかこれだけを読んでも、分かったような分からないような記事であるので印象に残ったのでとりあえず魚拓。

実は、今年の「サイエンス」2月号がその名も「DNAが語る古代ヤポネシア」なるまとまった特集をしていた。
20240422サイエンス2月号

冒頭の記事がこちら。タイトルバックの日本地図がなかなかの傑作データで、県別の住民のゲノム上に見られる縄文人由来の変異保有率を示したもの。色の濃い方が変異保有率が高い。東北や関東の一部、鹿児島県や島根県で特に高く、近畿地方や四国では低い。別の研究では本州付近の現代日本人では縄文人ゲノムを1‐2割受け継いでいるが、北海道のアイヌの人々は7割、沖縄県では3割の人々が受け継いでいるとか。

「ミトコンドリア・イブ」の存在が示されたのが1987年、ヒトのミトコンドリアの変異を辿っていくと16万年前のアフリカのひとりの女性に行きつくというので当時はおおきな話題になった。その後の2010年に人類のゲノムの中に2%ほどのネアンデルタール人のゲノムが存在すると発表され、ホモサピエンスの進化はアフリカから出発したわけではなく、他の多くの地域で同時多発的に進化したという説もある。いずれにせよ、ホモサピエンスの歴史は万年ほど。4万年前には日本にもホモサピエンスが到達していたそうだ。そして縄文文化の時代は1万6000年前から3000年前ごろまで。
20240422サイエンス2月号2

以下詳しい話やその他の話題については「日経サイエンス2月号」をご購入のほど。

さて上の記事の著者は、内村直之(科学ジャーナリスト)とあった。聞いた名前だよな、と思い調べるとなるほど正解、青山高校時代の1年B組で同級だった内村君であった。なんとなく朝日新聞の科学記者、という話を聞いたことがあったが現在はフリーでものを書いているらしい。ちょっとした奇遇。
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舎人公園のネモフィラ

昨日、舎人公園にネモフィラを見に行った。大江戸線に舎人公園のネモフィラの吊り広告があり、昨日だけがこの一週間で唯一の晴れマークだった。ただ山手線の西側に住んでいる身にとっては舎人公園と言われても何の親近感もない存在で、去年までなら全く行く気にはならなかったと思われる。しかし今年になって日暮里に通うようになって事情が一変、舎人公園へは舎人ライナーに乗って行くのだが、舎人ライナーの始発駅が日暮里駅だったのである。

ということで通いなれた日暮里駅に行き、舎人ライナーに乗り換えた。車中で「舎人ライナーってどこの経営?」という話になり検索すると都営交通ということを知った。ということはシルバーパスが使える、すなわちタダ。下車駅の「舎人公園」駅でスイカで乗ってしまったと駅のインターホンで話すと(改札は無人)、丁寧に手順を案内されて乗車記録を取り消し出口の切符を発行してくれた。おかげで往復680円が浮いた。正規料金を払って舎人公園まで行くと、もれなく無料のお弁当を配ってもらったようなもの。ちょっと幸せ。

もう一つの車中の会話が、都営交通であれば「終点はどこ?」というもの。この辺りの地図に詳しくないが、どこかの駅はなさそうなので、「きっと路線は県境でブチっと切れているに違いない」などと話しながら検索するとその通り。終点の駅は「見沼代親水公園」といい、県境でブチっと切れていた。

右は舎人公園のマップ、赤丸がネモフィラの丘。小さいことは分かっていたもののとりあえずで出かけた。
20240420舎人ライナー

舎人公園駅の改札を出たところ。
南側の日暮里方面 20240420-01.jpg

都立公園なのでタダ。入ってすぐの左側。
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もうちょっと先の北北東に伸びるメインロード。夜はライトアップされるそうだ。
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池方面を経由してネモフイラの丘へ。思ったよりずいぶん小さいがネモフィラは満開。
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以下、スケール感がバレないように撮った写真の選抜。
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あっさり一回りしてメインの広場でお弁当。この辺りは全て桜の樹で二週間前はさぞ賑わっていたことだろう。
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メインロードのLEDライトの配線。
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舎人公園駅。夜はお兄ちゃんの入学祝兼長女と婿さんの誕生会があるので2時過ぎに帰路に着いた。
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入学祝兼誕生会.
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「I‘M A SHOW」の矢野顕子ライブ

有楽町で一回だけの矢野顕子のピアノソロライブがあるというので、城西支部の句会と重なったが句会だけで切り上げ、観に行ってきた。会場はマリオン別館の「I‘M A SHOW」という小ホール。ヘンな名前と思ったいたが、「アイマショウ」と読むそうだ。「有楽町で逢いましょう」、オシャレともいえるがオヤジギャグとも言えそうな微妙なネーミング。2022年12月にオープンしたそうだ。定員が400人弱の小ホールで、場所とホールの規模や構造から、映画館を改造したものかと思われるが確認した訳ではなくこれは想像。
20240419Im a show0

今回は4日間の音楽イベント「TOKYO 春爛漫」の4人の出演者の一人で、それぞれ弾き語りによるワンマン公演を行うが、矢野以外の出演者の名は聞いたことがない人ばかり。それはともかくこんなポスターが用意されている。
20240419矢野顕子

17時に新宿で妻と待ち合わせ、有楽町のモスバーガーで軽く食事をとって会場へ。
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席はM列と後ろから3番目だったが前からは13番目、大会場だったら大当たりの席、しかも列の高低差が大きくステージが良く見える。ステージにはグランドピアノが一台あるだけ。
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今回のステージは彼女にとって日本での今年最初のライブでかつピアノソロは今回だけ(今年は、という意味だろう)だそうだ。通常のツアーと異なるからピアノソロとなったのだろう、小ホールで矢野のピアノソロライブが聴けるというのは超ラッキーである。そのせいか、選曲も彼女の好みに合わせて自由に決めたようで、演奏も歌もリラックス感が漂っていた。多くが知っている曲だったが、いずれもこれまでにないアレンジで新鮮、これもアメリカでジャズのステージを多くこなしているためだろう。

アンコールの前のMCで、今回はベヒシュタインピアノを用意してもらったと語っていた。矢野はベヒシュタインに2017年の演奏会で出会い、ベタ褒めしていたピアノ。今回のアンコールも「ラーメン食べたい」であったが、ピアノに「ラーメン食べたい」のメロディーは1フレーズも現れず、ベヒシュタインと矢野のピアノの変奏の格闘に歌を重ね合わせたもので、約9分間の大熱演であった。
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今日の演奏リスト。「ヘビの鳴く夜」、これはライブでは初めて聴いたと思う、と「雷の鳴る前に」、槇原敬之の1992の曲、が涙が出るほどすばらしかった。とても幸せな夜であった。音楽っていいな。
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「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の本質(2)

心理学に「同質の原理」という概念がある。そのときの心理状態にあった音楽を聴くことで感情のバランスを整えていくことができるため、音楽療法として精神疾患(対人恐怖・うつ・不安・自律神経失調症・パニック障害・社会不安障害・赤面症など)の治療に重要な役割を果たしているそうだ。分かりやすく言えば、うつ状態で明るい曲を聴くとかえってストレスになるので、暗いもしくは落ち着いた曲を聞いた方が精神は健全性を回復する、というもの。心と音楽が同調して心理的なストレスを発散する効果があるらしい。

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」、発行部数は世界で8000万部以上という。本はすべからく読まないと内容は分からない。本を読んだ人は全て書評や口コミなどで興味を持った人たちである。数多の書評の多くに琴線にふれる何かがあったのだろう。しかし8000万人の読者全員がこの本に5つ星を付けたとは思われない。半分以上の人にとっては読むに堪えなかっただろう。しかし少なからぬ人はこの本、もしくはホールデンに共感する何かを覚えた。さらにその一部の人は熱狂的な共感を覚えた。

程度の差こそあれ共感を覚えた人たちは、まさに自分と同じ姿を、世界の外側にしか居場所のないホールデンに見出したに違いない。同質の原理である。彼らにとって心の安らぎを覚える魂の共振れであり、人によっては聖書に鳴り得たというのは大いに理解できるところであった。

ジョンレノンが暗殺されたのは1980年、この時のジョンはアメリカにオノヨーコと生活していて、ビートルズの時代のジョンではない。犯人のマーク・デイヴィッド・チャップマンには、「phony」の典型に見えたに違いない。

本書は1953年から禁書運動が長年アメリカで続いたそうで、最後の州の禁書リストから削除されたのは2006年だったという。ジョンが暗殺されたから禁書になった訳ではない。また前回何となく触れたが、「暴力的な描写や不道徳な表現から」禁書処分になった訳ではないはず。読めば分かるがアメリカ映画に較べれば「暴力的な描写」など無いに等しく、ホールデンの言葉の不道徳な一面を否定することはできないが発禁に値するものではない。NHKのコメントは単に読解力のない番組のプロヂューサーかディレクターの個人的見解にすぎない。

発禁書リストに掲載された背景は同質の原理を恐れた関係者の判断だったと思われる。ホールデンは社会の落ちこぼれ、共感を覚えた若者たちも同類もしくは心のどこかに同じ資質を抱えた若者たちである。当時のアメリカは戦後の発展期から高度成長の時代に入っていた。このような若者が、ホールデンに共感を覚え、安住し、非生産的なアメリカ人として生きていくことは許されないとの判断が下されたのだと思われる。この本に対して、「小説には何かが埋め込まれている」「物語にはないそれ以上の何かがある」という感想がうまれる要因は、同質の原理による魂の共振れの証である。

サリンジャーがホールデンに語らせた「phony」の世界、当時のアメリカの一面というよりそれがアメリカの姿であったと思われる。そして現在の日本も見渡せば「phony」の世界。

旅先のホテルのロビーや多くの待合室などで新聞がおいてあり、他紙を開くことがあるが読むべき記事がないことに驚いていた。テレビの民放の多くの番組も同類。優秀な社会人として生き、私は弱者や環境に思いやるいい人であることに最大の価値を見出す世界。ホールデンが吐き気がすると書く世界だ。そんな社会の中に住めない人は落ちこぼれとして存在すら無視される。

けっこう自分も精神的にはホールデンの価値観に近い生き方をしてきたのかもしれない。でも、それも快適。そんな世界の内側で生きるより、外側の世界の方がずっと広いし自由だし何より楽しい。





「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の本質

村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」をアマゾンで購入、先日読み終えた。村上春樹の前の訳者は「ライ麦畑でつかまえて」とタイトルを訳していたのでその方が多くの人にとっては分かりやすいだろう。帯を外せば(届いた本に帯はなかった)真っ白な本に真っ赤なアルファベット、どうみても70代のおじいさんが読む本の体裁ではないよな、と思いつつ電車やバスの中で開いていた。きっとヘンな爺さん、と見られていたに違いない。

購入のいきさつは→こちら
送料込み1500円 20240415キャッチャーインザライ

本の概要、内容についてではなくその外側、について記しておく。記述はNHKの番組紹介から。ただし「暴力的な描写や不道徳な表現から」との解説部分は番組のプロヂューサーかディレクターの個人的見解だろう;
J.D.サリンジャー著「キャッチャー・イン・ザ・ライ」。世界30ヵ国語に翻訳され発行部数8000万部以上を誇る青春小説の金字塔。一方で、暴力的な描写や不道徳な表現から全米で禁書処分が多発。さらにジョン・レノン殺害の犯人が本に影響を受けたと告白した。

先日のブログに記した筆者の補足;
原作は戦後間もない1951年に発刊されている。しかし上の紹介にあるように1953年から禁書運動が長年アメリカで続いたそうで、最後の州の禁書リストから削除されたのは2006年だったという。

本書は高校生のホールデンが、クリスマス休暇前の土曜日から月曜日までの三日間の自分の行動や見たこと、それらに繋がる数々の回想などを会話形式も多用して、一人称で饒舌に語りついでゆくという形式をとっている。さらにそこに自分の感情や価値観、美意識が重ねられていく。劇的な出来事もなくあらすじと言うほどのものさえないと言って良いだろう。5ページから351ページまでの文字と三日間という時間を使って描かれるのは、異常なまでに詳細なホールデンという高校生の魂の姿であった。

初読は大学一年生の時。英語の授業のテキストとして使われたので原書を読んだ。印象はかすかに残っているがあらすじは全く覚えていないのはあらすじというものがないためだったようだ。

サリンジャーが350ページを使って描き出したホールデンの姿をいくつかの単語で代表させることは乱暴であるが、通奏低音のように流れるテーマは、ホールデンにとっての自分の外の世界が「phony」(村上春樹はインチキと訳出)で満ちているということだった。言いかえれば彼のまわりは虚飾と欺瞞にまみれ、彼の価値観にとっては吐き気のするような人間ばかり、ゆえに彼の住める世界は社会に存在しなかった。唯一、心の安住を得られる存在は小学四年生の妹のフィービーだけであった。

ホールデンの言う「phony」な世界についていくつか引用しておく;
・(学校について)なにしろインチキ野郎の巣窟みたいなところでさ、(中略)いつの日かろくでもないキャデラックを買えるくらいの切れ者になるべく、せっせと勉強に励むことだけ。(中略)そして誰も彼もがちっぽけで陰険な派閥みたいのを作って、身内でかたまりあっている。

・(劇場のクリスマスのに出し物について)これはものすごく宗教的で、美しいことだとみなされるわけだ。(中略、僕にはそう思えないと言った後)だってさ、ちょっと考えれば連中がステージを終えて、ああやっと終わった、みたいな感じで煙草をぷかぷか吹かしたりすることは、見え見えなわけじゃないか。

・(映画館の回想、となりの女が映画を観て泣きまくっていたが、彼女には子供がいて便所に行きたいと言っているにもかかわらず、そこに座っておとなしくしてなさいと繰り返した話の後)インチキ臭い映画を観ておいおい泣いているやつなんて、十中八九まで実は根性曲がりのカスなんだ。

・(弁護士に関する認識)弁護士がいつもいつも無実の人間を生命を救ってまわって、しかもやりたくて、そいうことをやっているなら悪くないんだよ。でもさ、現実に弁護士になったらさ、(中略)しこたまお金を稼いで、ゴルフをして、ブリッジをして、車を買って、マティーニを飲んで、大物づらすることに手一杯なんだ。(中略、実際に無実の人間を救っても)ほんとにその人を救いたいのか、それともすげえ弁護士だとみんなに思われたくてやっていることなのか・・・。

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は最後にホールデンとフィービーが会う場面で終わる。その時の会話でホールデンはフィービーにすごく好きなものをあげてみろと言われる。しかし、ホールデンの頭に浮かんだものは日曜日に会った二人の尼さんとイジメにあって教室の窓から身投げして死んだ生徒のことだけだった。

サリンジャーの描いたホールデンは世界の外側にしか居場所のない病んだ若者だった。

NHKの番組で、1980年にジョンレノンを暗殺したマーク・デイヴィッド・チャップマン、翌1981年レーガン大統領の暗殺未遂事件のジョン・ヒンクリーのふたりが「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を耽読者であった事実を紹介していた。二人とも期せずして25歳の若者だった。また、ベトナム戦争からの帰還兵が「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を「戦場では私のバイブルだった」と述懐していた。

テレビ番組を観た時はへー、ぐらいにしか感じなかったが、今、読み終えてわかったことがある。

(つづく)






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