風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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二審無罪

40年以上前から、冤罪には過敏に反応してきた。冤罪というのは無罪の1国民が、の故意もしくは無能によって殺される瀬戸際まで追いつめられるか、良くても罪を犯していないにもかかわらず懲役に科せられること。一方、故意もしくは無能によって無実の人を犯人扱いしてその人の人生を奪っても、警察、検察、裁判官が罪に問われることも、責任を取らされることも、そして謝罪することすらない、究極の不公平システム。戦前の刑事訴訟法では罰則があったが戦後のアメリカ型の法システムの導入でその条項は無くなったと理解している。

冤罪が晴れて無罪になった少なくない人々の報道で、本人の良かったという声は映像として流れるが、警察、検察、裁判官の責任を糾弾する声が流されたことはない。本人にその余裕はないだろうが、弁護士や支援者は大きな声でこれら殺人未遂か違法監禁教唆者の責任を追及すればいいのに、といつも思う。ニュースの度にこの話を繰り返すものだから、私に言われても・・・、ということだろう、すっかり慣れた家族にはいつも華麗にスルーされている。

さて、今回の菊池直子の無罪判決、驚くことにマスコミはどちらかと言うと公正かつ冷静に報道していた。オウム関係の裁判は、司法の公正ってどこにあるの?と問い詰めたいぐらい、中世の魔女狩りのような判決ばかりだった印象があったから。日経新聞の記事で、大学の名誉教授の言葉が引用されていて、これが面白い。「検察側は菊地元信者が具体的に指示を受けていたと示す必要があったが、元幹部らの証言は曖昧で食い違いが多かった。二審はプロの裁判官が冷静に判断したといえる」。すなわち、一審は素人並の裁判官が判断ですらないでたらめな判決だった、と非難しているのと同じ。同じ裁判官でもこの大島隆明裁判長は偉い、というか普通。

一審の判決を出したのは、東京地裁の杉山愼治裁判長、江見健一裁判官、戸塚絢子裁判官という三名。2014年7月に懲役5年の実刑判決を下している。

この裁判の内容に関して、江川紹子氏がわかりやすく実態をレポートしている(http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20140701-00036992/)。2014年7月の時点だ。判決は、いくつかの事実から「推測」や「推認」を重ね、論理を飛躍させながら、「可能性」を導き出し、「可能性」がいつの間に「事実」へ格上げされたらしい。江川氏は「このやり方で人の内心を推し量れば、「ない」認識を、いくらでも「あった」ことにしてしまえるのではないか。」と書いている。検察も裁判官もバカではないので、見かけ上は巧妙である。検察の作った架空の自白をしてしまうのも、本人が弱いせいではなく、単に取り調べが狡猾かつ卑劣なのだろう。NHKもこの記事を見たのだろう、同じ単語と説明をしていた。これに対して、二審は科学的に事実のみを取り上げ、合理的論理的考察から無罪と結論付けた。

何かの不幸で、この三人の裁判が担当する裁判の被告になったら、裁判長としての資質に疑義ありとして不服申請をしよう。
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