風の行方とハードボイルドワンダーランド

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STAP細胞:「捏造」の捏造の構造 (2)

2012年の初春、若山先生(以下敬称略)の10年にわたる理研CDB での任期が2013年3月で切れ4月から山梨大学の教授に就任することが決まる。3月、氏は若山から、若山研のメンバーをフルに使って、急いで幹細胞株化の論文を仕上げるように指示を受けた。若山からは研究員たちへの研究テーマの割り振りを提案されたが、氏自身では行えないものばかりだった。何故、氏が直接手を触れていない幹細胞株化に関する論文を氏が書かねばならないのか、よくわからない。それがこの業界の慣習でもあるらしい(後出)。

投稿にあたり、TCR再構成の有無の確認が不可欠とのアドバイスを当時の副センター長から受け、再構成を確認する実験結果をネイチャーに投稿するが、不採択の通知を受ける。

一方その頃、氏は若山からスフェア細胞からキメラは胎盤が形成できたと報告される。ES細胞は胎盤を作成できないので大発見。その培地でスフェア細胞を培養すれば幹細胞株ができるのではないかと、若山は独自に実験進めた。これは成功し、のちにFI幹細胞と名付けられる。氏の準備中の論文に氏の関知しないFI幹細胞株のデータも追加された。研究の主体は若山に移り、氏の研究の方向とはかけ離れていった。

8月に若山は、幹細胞株化の特許申請の手続きを開始する。若山51%、氏に39%、他10%という権利配分だった。また、その頃、スフェアの論文と幹細胞株化の論文を2報同時に投稿することを提案した。それによって、不採択だった論文が受理される可能性があるということだった。10月ごろ、氏は共著者に「幹細胞株化の論文を急がされているが、自分で再現が取れず不安である。もっと検証すべき」、と不安を打ち明けた。しかし、誰も若山に検証しろとかコントロール実験をしろと、言うことはできなかった(p105)。

多分嫌気がさした氏は、11月に若山の元を離れ、アメリカに帰る決心をする。ところが、着米数日後、理研の副センター長からユニットリーダーに応募するよう打診を受けた。これは、自分の研究を自分でできる、という願ってもない地位なので応募する意思を固めた。帰国し、12月下旬に審査のためプレゼン、若生山研での実験に加え、自分の興味のあるストレスを受けた後の細胞の変化過程の生物学的意義を研究したい旨を中心に話をした(p109)。その日、初めて笹井と会う。それが合格の通知だった。笹井は、氏の希望する研究をするため、とにかく今の論文を終わらせましょう、と言った。笹井は、トップジャーナルに何度も論文が掲載されている世界的に有名な人物だった。

ネイチャーには、アーティクルという長い論文とレターという短い論文がある。笹井も若山の2報同時報告に同意し、投稿に失敗している氏が主導の現象論をまとめた論文をアーティクルに、若山の進めている幹細胞化の論文をレターにすることを提案した。アメリカの共著者にも笹井が同意を取り付けた。この時に「STAP細胞」という名前が決まった。STAP細胞から若山が作製した増殖するように変化した細胞は「STAP幹細胞」と名付けられた(p114)。しかし2報とも、執筆するのは氏であり、笹井は執筆を指導する立場である。

(つづく)


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