風の行方とハードボイルドワンダーランド

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STAP細胞:「捏造」の捏造の構造 (3)

2013年3月ユニットリーダーに就任、最若手のPIとなる。アドバイザーには笹井と丹羽氏がついた。山梨大に移る若山からは、「STAPの細胞培養をもう一度確認のため教えてほしい」と要請されて教授、二回目は若山が独自に再実験をして、STAP幹細胞の樹立までを成功した、聞いたそうだ(p117)。

3月11日にネイチャーに投稿、4月4日に「リバイス」との査読結果を受け取った。不採択ではなく、修正すれば掲載という通知。修正期間は6か月間。この間、論文の著者名の記載順番でのもめ事が起きる。最も栄誉ある立場が最後に乗る名前で、シニアオーサーと呼ばれる。各共著者が掲載順序に対し氏に申し入れをしてきたが、笹井がまとめてアーティクルはバカンティ、レターは若山がシニアオーサーとなった。氏は指導を受ける立場として、ファーストオーサーとなった。要求された修正内容は若山が作製した幹細胞株に関するものが多かった(p122)。修正実験の合間に、氏はSTAP細胞からSTAP幹細胞樹立を試みたが、再現はできなかった。若山に相談するも、そういうものだという返答であり、笹井や丹羽に相談しても、「若山を信用すべきで、STAP幹細胞樹立の効率化は別の論文でまとめたら」との意見だった(p122)。

修正論文が完成し始めた頃、若山から笹井に責任著者に加わるよう要請があった。レター論文は共著者間でももっと検証してから投稿すべき、との意見がある中、若山の強い意向で投稿が決まった経緯があり、若山が笹井に論文化の主導権を渡したことに、氏は不審を感じていた(p124)。客観的には、責任の所在がますます不明確になってしまった。さらに、ネイチャーから、「レター論文のSTAP幹細胞化のデータの一部をアーティクル論文に加えて書き直すように指示が出された(p125)。この結果、若山しか成功していない幹細胞化のデータを、アーティクルに載せなければならなくなる。若山の突然の責任放棄の許、当初の「STAP現象の発見」が「新たな幹細胞株の確立」に論文の主題が変わったことになる。笹井は、それでも氏を励まし、修正論文は9月7日に再投稿、再々度の修正の後、12月16日に再々投稿、21日にネイチャーから論文受理の報を受ける。氏曰く、「喜びよりもようやく終わった、という思い方が強かった」と書いている。論文を書いた経験のある人なら想像に難くない。

その後の顛末は2014年1月以降テレビ、新聞で大々的に報道されてきたとおり。本来、記者会見にあたっては、シニアオーサーであるバカンティと若山が対応するのが妥当だが、2報同時の発表であり、氏が双方の研究に携わり論文もまとめたため、氏が表に立つという特異な状況になった(p133)。もし、ニュートリノや重力波のように実験担当者や執筆者でなく、シニアオーサーが会見していれば全く異なった展開になっていただろう。一方、iPS細胞との比較資料は笹井が作ったもので、報道では、iPS細胞より簡単に万能細胞ができるという点が大きく報道され、氏のSTAP現象の発見という実態とは、以上縷々記したように全く異なる様相を呈することとなった。

(つづく)
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