風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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江戸古地図

今年の花行脚、安政六年(1859)須原屋茂兵衛蔵版の古地図を持って出た。ペリーが浦賀に来航したのが嘉永六年(1853)、翌年が安政一年、安政年間は日米、日英、日露、日蘭和親条約がそれぞれ調印され、日本の国際化の黎明期といえる。時の将軍は徳川家茂、ダーウィンの「種の起源」が発刊され、アメリカの南北戦争が1961に始まっている。

この地図を見ると大小様々な発見があって見飽きない。まず、地図として正確に見える。誰が作ったか知らないが江戸時代にこんなものを作れるシステムと技術があったことに驚き。そして、大きな道は現在と大きく変わらない。次に大邸宅というか大きな敷地がたくさんある。全て大名屋敷だが、当時の江戸は世界でも稀な巨大な土塀に囲まれた屋敷が多数並ぶゴージャスな都市だったようだ。現在の東京の敷地面積の大きなエリアは全て元の大名屋敷。以下外濠周りからのサンプル(記載は古地図ママ);

東京大学:加州上屋敷(註:加賀藩)
小石川後楽園:水戸殿上屋敷
防衛省:尾張殿上屋敷
上智大学:尾張殿中屋敷
ホテルニューオータニ:井伊カモン中屋敷
赤坂御用地:紀伊殿上屋敷
新宿御苑:内トウスルガ中屋敷
明治神宮:井伊カモン下屋敷
など

現在の外濠は市ヶ谷・四谷間から上智大学西側(ここを真田濠と言うらしい)まで埋め立てられ、赤坂見附で水面は途絶える。しかし、江戸時代はさらに溜池を通って濠は海まで続いていた。現在の「日枝神社」は当時「山王御社」と呼ばれていて濠の水面に聳え立っていたようだ。多分、城内で一番標高の高いのがここ山王社だったのかもしれない。確かに神社本殿の正面は南東方面を向いており、現在の外濠通りに面した立派な階段を登ると神社の側面に出る。なるほどとブラタモリ。
20160402 (2)

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