風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

Entries

リベラルアーツ

今日の日経新聞から。石井洋二郎 東京大学理事・副学長 がリベラルアーツについて寄稿していた。元々大学はリベラルアーツを学ぶ場所、と昔立花隆かが述べていて、なるほどと納得した記憶がある。大学で、「一般教養」という枠が形式的に残るのはその精神の名残だ。一方で、確かに今の大学は専門学校のようになっていて、かつその専門性すら欠如、単なる就職用肩書のために行くのが大学、という卒業生がほとんどというのが現状だろう。氏の原稿から引用すると、

まず確認しておかなければならないのは、これが単なる「一般教養」の同義語ではなく、もとは古代ギリシャにまでさかのぼる概念で、人間が奴隷ではない自立した存在であるために必須とされる学問を意味していたということだ。その流れを受けて、中世ヨーロッパでは文法、修辞学、論理学、算術、幾何、天文学、音楽の7学科がアルテス・リベラリス(自由七科)とされた。これがリベラルアーツの語源である。

文法と修辞学以外は、個人的に今も好みの分野なのが嬉しいが、言い換えると、宇宙の森羅万象を学ぶことにより、自分で考えることができる人間を作る、ということらしい。ただし誰でもそのようなことをできる能力が付与されているわけではない。昔は才能と経済的に恵まれた一部人たちだけが大学に進学したので、大学でリベラルアーツを学ぶ、という教育システムが可能だったのだろう。こんな言葉もある。

これは分別をわきまえた、物わかりのいい人間になるという意味では全くない。むしろ逆に、周囲の同調圧力に迎合して安易に妥協したりせず、おかしいことをおかしいと思い、わからないことはわからないと口にする素朴さや率直さを失わずにいることこそが、大人になるための第一条件であると、私は考える。

そんな大人が忌み嫌われるのが日本の社会だが、こんな一節もある。国会審議でもしばしば見られるように、初めから自分を変える気のない者同士がいくら議論しても、結局は不毛な平行線に終わってしまう。確固たる主張や信念を保持する一方で、他者との対話の中で絶えず自己を開き、練り直し、柔軟に変容させていく「やわらかいアイデンティティー」を併せ持たない限り、人は本当の意味で大人になることはできない。

東大ではここ数年総合的な教育改革を進めてきたそうで、その一環として3,4年生向けの「後期教養科目」を開講するという。現実的にそれが機能するかどうかはわからないが、大学教育にリベラルアーツを、という姿勢を示す大学が増えるのは日本にとって好ましい。

ちなみに、昔からリベラルアーツを教育方針としている大学がICU(国際基督教大学)。教養学部だけの単科大学である。
関連記事
スポンサーサイト

*Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

右サイドメニュー

検索フォーム

最新トラックバック