風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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ブラームスの享年

夕刻といっても18時に着いたので、とりあえず缶ビールを開けて、買ってきた弁当の夕食を食べ(買い出しは東京で済ませた)、テレビを観て温泉に入るともう22時すぎ。テレビをそれほど観る習慣はないのだが、なんとなく観てしまった。

その中で、ブラームスの話が少し出た。ブラームスは1833年生まれで1897年逝去。1897年というのは明治30年、ちょっと意外。そして享年63歳、ここに目がいってしまった。自分と同い年。ブラームスがいくつで死んだかなど考えたこともなかったし、肖像画や写真で見る顔はずいぶんお歳のお爺さんの印象だったのでとても驚いた。でも、今見ると目は若い。人生においてブラームスの顔をまじまじと見ることがあるなんて想像したこともなかった。
ブラームス

ついでに調べると、「それ以前のバロック音楽にも多大な関心を払っていた。とりわけJ.S.バッハに心酔しており、当時刊行中だったバッハ作品の全集を購読して熱心に研究した。その成果として最も有名なものが第4交響曲の終楽章に置かれた「パッサカリア」である。そのテーマはバッハのカンタータ第150番の主題を応用したものである。また、バッハ研究家フィリップ・シュピッタとも親交が深かった。」、だそうだ。第4交響曲の終楽章のどこにバッハの痕跡を見出したらいいのか全く理解できないが、精神的音楽的に共鳴する部分があったのだろう。

更に調べると、交響曲第三番が50歳、第四番が52歳の時の作品だった。なるほど、同年代だったから感動するものがあった、そして今も好きなわけはそんなことにもあったのかもしれない。中学校の音楽の先生は女性だった。当時はおばあさんと思っていたが多分五十代だったのだろう。中学一年生の時の音楽鑑賞でブラームスの交響曲第一番、もしかしたらハンガリー舞曲だったかもしれない、を聴かされた。何がいいのか全く理解できなかったが、先生が「皆さん、、大きくなったらブラームスの本当の良さがわかるのよ」という言葉と口調だけがなぜか強く印象に残った。ブラームスを聴くといつもその時の教室の記憶がよみがえる。今思うに中学一年生にそんなことを語ってくれたあの先生は素晴らしすぎる。
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