風の行方とハードボイルドワンダーランド

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百人一首の四季

親戚の四十九日の法要と納骨式があり川崎市の寺と墓地に行った。会席が終わって持たされた会葬御礼の袋の横に小さな文字がぎっしり書かれていた。電車で暇つぶしに目をやると百人一首が全て印刷されていた。つらつら眺める。第一首が「秋の田の・・・」、第二首が「春すぎて・・・」、思えば和歌と言っても四季を読みこんでいるわけだ。

帰ってからネットで百人一首の四季を当たってみたところ、公式の見解はないようで、多いもので、春九首、夏四首、秋二十首、冬六首とあった。他は無季ということなので四季を詠んだ歌が意外と少ない。つらつら眺めた印象とちょっと違う。

例えば第三首は「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながしながし夜をひとりかも寝む」である。これは無季扱い。しかし「長き夜」という季語が秋にあり、この歌はどう見ても秋。第八首は「わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山とひとはいふなり」。「鹿」という一字だけの季語はないが、この歌は秋だろう、花札で鹿は紅葉と一緒だし(追記:みなと句会のSさんから、「しか(然)」は、「このように(心静かに)」の意味です、との指摘あり、赤面至極)。

と、ちょっと見ただけで百人一首の半分以上が無季と判別した人間の見識を疑う結果となった。情けないにもほどがあるが、世の中そんなレベルなのかと今や驚かない。今度、これが正解だ!という百人一首の四季をきちんと色分けしてみよう。
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