風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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角川春樹と中上健次

「河」8月号の見開きの主宰の一句は、
   健次なき新宿にゐて冷し酒

昨日の碁会の後、今月分の「河」HPの表紙用の写真を撮るべくゴールデン街にロケに行ってきた。多分世界的に有名なのだろう、西洋系も含めて外人客がびっくりするほど多い。バシャバシャ撮ったなかでHP用に使おうと思っているのがこれ。
20170801.jpg

他にも候補があり、雰囲気は下の方が良いのだが、HPに置いてみると上の写真の方が見栄えとしてわかりやすそうというのが採用の背景。
20170801-2.jpg 

こちらのシリーズもあるが、ちょっと句に合わない。傍目には全く分からないが写真一枚選ぶのにも結構時間がかかる。
20170801-6.jpg

角川春樹と中上健次の絆は強かった。健次は1946年生まれで、主宰の4つ下、主宰の最新の句集は「健次はまだか」という追悼句集。同句集のあとがきにこう記している、1983年の事だったらしい;
・・・私と中上健次の出会いは、花の吉野へ行く新幹線の中であった。私たちを引き合わせたのは、文芸評論家の山本健吉さんだった。私と中上は、満開の花の吉野で、雪の降った後の満月を眺めるという、まさに雪月花を同時に眺める僥倖に三度も恵まれた。

また、句集「白鳥忌」に載せた「死者との対話」という一文で、こう述懐している。
一枚の写真のところで手が止まった。昭和六十三年四月の花見の景である。吉野の飯貝にある寺の枝垂桜の下で、弁当を広げている。しかし、そこに登場する人物の、大部分はこの世にいない。山本健吉先生ご夫妻、森澄雄先生ご夫妻、母・照子、作家の中上健次、俳人の秋山巳之流。

五十嵐秀彦氏によると、
中上健次は角川春樹に関して日頃「会ったらぶん殴ってやる」と言っていたそうである。山本健吉と森澄雄が尾崎一雄の葬儀で中上を見かけたとき、呼び止めて話をしようと思ったのはそのせいでもあったらしい。「ぶん殴ってやる」とは、いかにも中上らしい発言であった。しかし、そう言わず一度会ってみろと説得されてから、両者の交友は始まったのである。
だそうだ。なんとなくよくわかる。

さて、中上健次の作品は「枯木灘」を20年以上前に呼んだことがあるだけだ。一冊だけという事は気が合わなかったから。実際いくら名作であってもダメなものはダメで、読み終えるのにずいぶん苦労した。少なくともこういう方向の文学的センスには欠けているらしい。
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