風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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常呂町

昨夜のカーリング女子準決勝の韓国戦、第一エンドで3点先取された時はもうだめかと思っていたが、最終エンドで1点スチールで同点延長戦へ、流れは日本と思ったが後攻韓国の最後の一投で敗れた。20時から23時までの大熱戦、まだ3位決定戦があるので頑張ってもらいたいというのが国民を代表しての願い。

新聞テレビでは、LS北見のメンバーは全員北海道北見市出身と紹介されることが多い。間違いではないのだが、藤沢を除く全員は北見市常呂町の出身。だからどうしたの?だが、元々北見市と常呂町は独立した自治体、2006年3月に市町村の大合併で常呂町は北見市の一部になった。またカーリングの日本での発祥は常呂町。1988年年1月、町内に国内初となるカーリング専用の屋内リンク「常呂町カーリングホール」がオープンした。1998年の長野オリンピックから、カーリングはオリンピックの正式競技になったそうで、長野大会には、弱冠20歳でスキップを務めた敦賀信人さんら、常呂から5人(男子3人、女子2人)が出場したらしい。

実は、妻は常呂町の出身、生まれは道内の別の土地だが、常呂小学校、常呂中学校を出て、高校は網走に通ったが、大学入学まで常呂町で育った人間。実際カーリングの解説者として登場する敦賀氏は妻の兄の同級生の息子で、本橋麻里は常呂町の実家の直ぐ近くの家の孫娘だそうだ。だから、常呂町を北見市と言われると違和感を禁じ得ない。なお、現在札幌にいる妻の話では、北海道放送の放映ではちゃんと「北見市常呂町の」という定冠詞を付けていたそうだ。

ということで今は無き常呂町について記しておきたい。地図や衛星画像を見ての通り、道東の自然の真っ只中の町だ。網走の西方30キロほどのオホーツク海に面し、能取湖とサロマ湖に挟まれ、面積は278平方キロで東京23区の面積の45%に相当する。妻が住んでいた頃は人口6000人ぐらいと言っていたが、合併時は5000人を割っていた。夏は当然涼しいが、冬の寒さは厳しくマイナス20度を下回る日も稀ではなく、更に風強い。2月には流氷が前浜を埋め尽くす。

大学一年生の夏休み、無謀にも北海道を自転車で一周しようと函館に渡った。道東はサンゴ草を見に能取湖までは行ったが折り返して北見を経由し石北峠に向かったので常呂町には行かなかった。石北峠に向かったのは、北海道が大きすぎてとても一周どころではなかったからである。

常呂写真

結婚したのは1980年。彼女の学生時代、帰省は汽車、青森まで夜行列車に乗り、朝の青函連絡船で函館へ、函館本線で札幌、札幌から網走へ、そしてその頃網走と湧別間を走っていた湧網線に乗り常呂へと24時間以上かかっていた。今なら24時間あれば地球上のたいていの町には行ける。その湧網線も1987年に廃線となった。

自然も素晴らしいが、常呂町は海の町、海産物が美味しい。ホタテ、毛ガニ、ホッカイシマエビ、サケ、その他の北の魚たち。妻の実家に行くと新鮮なそれらが食べきれないほど並んだ。特に常呂はホタテ養殖発祥の地でもあり日本一の産地。いつも大粒のホタテが山盛りで出た。1933年から、専門家や漁業者の「厳しい冬を乗り越える大きなホタテの育て方」の試行錯誤が始まり、それから長い歳月を経て、「輪採制種苗放流漁業(4輪採)」をついに確立。約40年をかけて、1970年代には安定した漁獲量を確保できるようになりました。だそうだ。

結婚してから日本にいる間は毎年常呂へ行った。それが結婚するにあたっての彼女の唯一の条件だった。おかげで北海道を広く巡ることにもなった。

そんな中のワンショット、常呂のジャガイモ畑にて、30年ぐらい昔の写真。
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