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風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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天災と人災 (1)

昨日で東日本大震災から丸7年が経過。今日から8年目、自分でいうのもなんだが、東日本大震災しいては福島原発事故に関して大多数の日本人と異なる大きな違いがひとつある。当時、2月初めに起きた万座スキー場での追突事故により自宅療養中だった。会社に復帰したのは3月22日。背中側の肋骨6本を折るという重傷だったが、単純骨折ということもあって、その間肋骨以外は五体を含め心身ともに健康、よって震災発生の瞬間以降、朝から晩までテレビで何が起きているかを毎日見続けた。おかげで少なくともACのコマーシャルには親しくなった。

さて、今日の日経新聞の記事からの抜粋;
・復興庁によると、東日本大震災の避難者はなお約7万3千人(2月13日現在)、福島県では東京電力福島第1原子力発電所事故などにより、約3万4千人が県外での避難生活。
・警察庁のまとめ(3月1日現在)によると、震災の死者は1万5895人。行方不明者は2539人。
・復興庁によると、避難生活での体調悪化などが原因の震災関連死は3647人(17年9月30日現在)で前年より124人増えた。


東日本大震災は天災、想定を上回る規模の地震と津波による地町村の壊滅的打撃は防ぎようがない。しかし人的被害に注目すると少々見方が変わる。震災の死者不明者の合計は1万8434人。犠牲者の中には住民を救うために殉職された方々も少なくなく痛ましいかぎりだが、一方で非難して助かった人たちがいるという現実も明らかに存在する。例えばだが、死者不明者が生じた地区で、同数の生存者がいれば、死の原因を天災だけに帰するのは不合理、というか間違っている。以前その割合を調べようとしたが、個々の町や村、集落レベルの人口統計はさすがにウェブでは見つからなかった。とは言え被災地の画像や地図を見る限り、被災地には犠牲者の10倍以上の人口がいたと想定しても良さそう。とすれば、人的被害の要因として天災は1割以下、人災の要因が9割以上となる。ここでいう人災とは人間によって多くの死を防げたという意味。

同様の見方が福島原発事故にも適用できる。事故自体は想定外の津波という点はあるものの、その後の対策を見ればわかるように水さえ注入できれば燃料棒の崩壊熱による爆発は防げた。消防車で注水するぐらいの設備さえ設けていなかった東電(役員を含む東電原子炉設計関係者)の過失は情状酌量の余地はなく、事故は東電による人災。

一方、福島原発の被害となるとちょっと異なる。実際の「被害」は政府による避難命令もしくは避難勧告により避難生活を強いられた住民。上記の記事によれば現在3万4千人。そして避難生活のストレス等による多数の関連死。一方福島原発の事故そのものでは一人も死者は生じていないという、不都合な真実もある。

話が長くなりそうなので、とりあえず今日の結論。福島原発事故の被害と言われる住民の避難生活は、政府とマスコミによる人災。これに関してはこれまで多々記してきたので今日は触れないが、去年の今日、この件について一件書いていたので参考までに貼っておく→こちら

天災でも人災でも過去は取り戻せないからどちらでもいいという人は多いだろう。しかし人災は天災と違ってコントロールできる、もしくは被害を失くすことさえできる。過去を正確に認識することにより、初めて何をすべきであって、何をすべきでなかったかを見極めることがきちんと見極めることが可能となる。さらに、その意思決定のプロセスで誰が正しく誰が間違っていたかの責任さえ明白にすることもできるので、健全な未来を期待するなら実はとても重要なプロセス。こういう作業は残念ながら、時間はあるがしがらみも慾も夢も希望もない無職の人にしかできない。
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