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2019.09/27 [Fri]
鳥獣人物戯画
「絵師が描いた囲碁将棋(10)」も今日が最終回、出典は「鳥獣人物戯画」(甲巻、部分)だった。「日本最古の漫画」とも呼ばれる「鳥獣人物戯画」は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての作品。擬人化された猿と兎が、碁の場面に登場する。寝転んで観戦する兎や、外から口を出しているようにも見える猿が盤を囲んでいる。囲碁は仏教寺院でもよく打たれ、養老律令の一編「僧尼令」でも琴とともに戒律に触れぬ公認の技芸だった。おそらく僧や公家の姿だ。生きることにあくせくせず碁を楽しむ余裕のある階層が対局に夢中になっている様子を、滑稽に表現し風刺したのだろうとの解説。
この風景、まるで現代の碁会所の様子そのままでリアリティがすごい。前回書いた三代歌川豊国(1786~1864年)の浮世絵は江戸末期の創作なので、実際にどの程度碁が打たれていたのかそれだけだと信憑性に疑いもあるが、こちらは平安末期から鎌倉初期の作品、、同時代にはかなり普及して一般化していたことがわかる。

碁のルールは、.碁盤の線の交差部分に黒と白が交互に打つとか、地(自分の領域)の多いほうが勝とかルールというより説明のようなものを除くと、一つしかない。相手の石を上下左右を囲うと取れる、基本的にはこれが全て。単純なだけ進化のしようがなく、800年後の現代人も、この絵のウサギとサルと同じゲームしているというのは感慨深い。
囲碁にはさまざまな別称・雅称があり、そのような故事由来の異称の代表が爛柯(らんか)。中国の神話・伝説を記した『述異記』の次のような話に由来する。晋の時代、木こりの王質が信安郡の石室山に入ったところ童子たちが碁を打っているのを見つけた。碁を眺めていた王質は童子からナツメをもらい、飢えを感じることはなかった。しばらくして童子から言われて斧を見ると、その柄(柯)が朽(爛)ちていることに気付いた。王質が山を下り村に帰ると知っている人は誰一人いなくなっていた。
まるで浦島太郎のような話で、浦島太郎は竜宮城で美女の歓待をうける日々だったが、王質は碁を見ていただけ。どちらが楽しいかは人によるのだろうが、そのくらい面白いゲームというのもわかる気がする。
この風景、まるで現代の碁会所の様子そのままでリアリティがすごい。前回書いた三代歌川豊国(1786~1864年)の浮世絵は江戸末期の創作なので、実際にどの程度碁が打たれていたのかそれだけだと信憑性に疑いもあるが、こちらは平安末期から鎌倉初期の作品、、同時代にはかなり普及して一般化していたことがわかる。

碁のルールは、.碁盤の線の交差部分に黒と白が交互に打つとか、地(自分の領域)の多いほうが勝とかルールというより説明のようなものを除くと、一つしかない。相手の石を上下左右を囲うと取れる、基本的にはこれが全て。単純なだけ進化のしようがなく、800年後の現代人も、この絵のウサギとサルと同じゲームしているというのは感慨深い。
囲碁にはさまざまな別称・雅称があり、そのような故事由来の異称の代表が爛柯(らんか)。中国の神話・伝説を記した『述異記』の次のような話に由来する。晋の時代、木こりの王質が信安郡の石室山に入ったところ童子たちが碁を打っているのを見つけた。碁を眺めていた王質は童子からナツメをもらい、飢えを感じることはなかった。しばらくして童子から言われて斧を見ると、その柄(柯)が朽(爛)ちていることに気付いた。王質が山を下り村に帰ると知っている人は誰一人いなくなっていた。
まるで浦島太郎のような話で、浦島太郎は竜宮城で美女の歓待をうける日々だったが、王質は碁を見ていただけ。どちらが楽しいかは人によるのだろうが、そのくらい面白いゲームというのもわかる気がする。
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