Entries
2019.10/20 [Sun]
親不知
土曜日の日経新聞夕刊の最終ページに「文学周遊」という大きな定番記事があり、昨日は水上勉「越後つついし親不知」だった。記者が、簡単に小説に触れるとともに現地を訪れ紀行文を記す。今回は親不知。期せずして昨日長野の記事を書いたばかりというだけでなく、親不知は2005年に栂海新道の終着地として訪れたことがあるので思い入れが深い。
記者は親不知駅から市振駅の間を歩く。その中間に位置するのが親不知。記事はこう終る。国道8号の天嶮トンネル部分は歩行できないため、コミュニティロードが歩行者の迂回路も兼ねている。帰路は迂回路を抜け、そのまま西の市振駅へと国道を歩いたのだが、やはり歩道はなく、洞門だらけ。とほほ。歩行者にとって親不知は今も天下無双の難所だと独りごちたのだった。
2005年に東京-日本海一筆書きの最後の道が栂海新道で、親不知の観光ホテル前の道路で終わる。ホテルの前を下ると日本海だった。さすがにこの時は感無量だった。親不知、名前は知っていても実際に訪れたことのある人はどのぐらいいるのだろう。

記者は親不知駅から市振駅の間を歩く。その中間に位置するのが親不知。記事はこう終る。国道8号の天嶮トンネル部分は歩行できないため、コミュニティロードが歩行者の迂回路も兼ねている。帰路は迂回路を抜け、そのまま西の市振駅へと国道を歩いたのだが、やはり歩道はなく、洞門だらけ。とほほ。歩行者にとって親不知は今も天下無双の難所だと独りごちたのだった。
2005年に東京-日本海一筆書きの最後の道が栂海新道で、親不知の観光ホテル前の道路で終わる。ホテルの前を下ると日本海だった。さすがにこの時は感無量だった。親不知、名前は知っていても実際に訪れたことのある人はどのぐらいいるのだろう。


- 関連記事
スポンサーサイト
*Comment
Comment_form