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風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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首里城炎上

首里城炎上2
市消防局などによると、10月31日午前2時34分、熱に反応するセンサーが作動。駆け付けた警備員が正殿北側のシャッターを開けて中に入ると煙が充満しており、その後、火柱を確認した。財団によると、約1時間前の午前1時20分に警備員が正殿内などを巡回。その後、正殿ではセンサーや24時間稼働の防犯カメラ7台以外に電気を使う機器は作動していなかったという。

テレビでこのニュースが流された時、信じがたい思いで画像に見入った。あまりの炎上の激しさに放火なのかと思ったが、新聞記事で見るかぎりは電気系統の異常による事故の可能性が大きそう。

首里城、2年半前に訪れたことがあるので、他人事には思われなかった。生憎の雨と改装工事中でもあったせいか、観光客も少なかったものの、中に入ると琉球王朝時代の朱塗りに金をちりばめた内装は豪華そのもの、当時の権勢の強さを彷彿とさせてくれ、沖縄の歴史など知らなかっただけに新鮮な思いで見た記憶がある。首里城訪問時のブログに当時の感想を確かめると、首里城には申し訳ないが、こう記載していた、「沖縄に来たなら首里城に行く暇があったらこちらのの方がお薦め」。中城(なかぐすく)を訪れた後だったのでこんな感想になったようだ。このときのブログは →こちら
20170531-17.jpg 20170531-18.jpg

首里城の建屋は国の所有であり、2019年2月1日以降、管理および運営が国から沖縄県に移管されたそうだ。なお県は実際の管理を一般財団法人沖縄美ら島財団に行わせている。沖縄の玉城知事が「県民の心に寄り添って、1日も早く、復元の実現をしたい」と述べた映像が流されたが、新聞テレビも含め沖縄県の管理責任については何も触れていなかった。スプリンクラーを設けていないとか、ノートルダム寺院の火災の後の保安体制の点検も国の指示がないから実行していないのが実態らしいが、指示を出さなかったことは管理責任がすべて財団にあるからということなのだろう。

このニュースをみてすぐ脳裏をかすめたのが三島由紀夫の「金閣寺」。放火?と思っていたせいもあるが、闇夜に燃え上がる姿が「金閣寺」と重なった。この小説、実際にあった放火事件にインスパイアされて書かれたもの。殺風景な言い方をすれば主人公は放火犯、それを文学にまで高める三島の才能はやはり天才。この事件、ウィキにこうあった。

1950年7月2日の未明、鹿苑寺から出火の第一報があり消防隊が駆けつけたが、その時には既に舎利殿から猛烈な炎が噴出して手のつけようがなかった。当時の金閣寺には火災報知機が7箇所に備え付けられていたが、6月30日に報知機のためのバッテリーが焦げ付いていたため使い物にならなくなっていた。幸い人的被害はなかったが、国宝の舎利殿(金閣)46坪が全焼し、創建者である室町幕府3代将軍足利義満の木像(当時国宝)、観音菩薩像、阿弥陀如来像、仏教経巻など文化財6点も焼失した。

鎮火後行われた現場検証では、普段火の気がないこと、寝具が付近に置かれていたことから、不審火の疑いがあるとして同寺の関係者を取り調べた。その結果、同寺子弟の見習い僧侶であり大谷大学学生の林承賢(本名・林養賢、京都府舞鶴市出身、1929年3月19日生まれ)が行方不明であることが判明し捜索が行われたが、夕方になり寺の裏にある左大文字山の山中で薬物のカルモチンを飲み切腹してうずくまっていたところを発見され、放火の容疑で逮捕した。なお、林は救命処置により一命を取り留めている。
首里城炎上5
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