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風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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現存12天守

天守を備えた城がどのぐらいあるのかよくわからなかったが多分数十はあると思われる。その中で、江戸時代以前に建造もしくは再興された天守を持つ城は12で現存12天守と呼ばれる。このことを知ったのは松江城を訪れた2014年。城内に現存天守12城という表が額のように飾られていた(下左)。それまで城は城でしかなかったが、コンクリート製の城と古の木造の城では城内に漂う気の違いを意識するようになった。

それらの城のリスト兼ロケーションがこちら(右下)。赤の四角はこれまでに訪れたことのある城。残りの七つの城を元気なうちに訪れたいと思う。
DSC_3572 (2) genzontizu3a.jpg

ウィキやネット上にこれら12城の情報は溢れているが、驚いたことに簡潔にまとめている記事はなかった。個別に記されたウィキの情報も頼りない記載が散見された。仕方ないので一目でわかる現存12天守情報を作った。天守建造年に関しては、後述の表にも記しておいたが、原則松江城の資料によった。大差は認められなかったが松江城の学芸員のほうが、ウィキの記載者よりきちんと調べて資料を制作していると思われたから。一方丸岡城の天守建造年、きちんとした資料がないらしく、松江城の学芸員は築城年と同じにしていたが、ウィキには寛永年間とあったのでこれだけそちらを採用。

特に気にしたのが天守建造年。岩櫃城を訪れた時、あるのは石垣と土塁と空濠だけ、城とは本来こういうものだと気がついた。
戦乱の中で天守という優美なものを作っている財力も人力もないと思っていたので、徳川家康が天下を統一した後に天守は作られたとそれ以来思っていた。天守を最初に建造したのは織田信長といわれている。確かに一時的にせよ天下を統一したのだから納得。豊臣秀吉も同じ。現存の天守、調べてみると最古の天守が関ヶ原の後の1601年建造の犬山城。続いて1606年の彦根城だった。やはり城は戦火の中の砦であったようだ。古い方から五つの城が国宝になっていた。なお、松江城は2015年に国宝に指定されているが、ネット上では国宝は4城となっているものがほとんどなので誤植ではない。
現存天守建造年

ついでに大きさ順。大きい順に五つ目までが国宝になっていた。大きくて古いものは価値が高いということか。
現存天守平面規模
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