fc2ブログ

風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

Entries

バッハの30代

バッハというと中学校の音楽室にあった肖像画のイメージが一般的ではないだろうか。どちらかというと老人のイメージで、これだと音楽の父と称されても画像的に納得するものがある。
バッハ(1685-1750) バッハの肖像画

山荘の屋内で過ごす時には、バッハをかけ流しにしていることが多い。バッハの主な曲のCDは概ね揃っている。多くの曲がバッハのケーテン時代に作られているということは知っていたが、その時のバッハの具体的なイメージがなかったのでちょっと調べた。バッハは1685年生まれ、日本では関ヶ原の戦いの85年後で、五代将軍綱吉の時代、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出たのが1889年、というような時代だ。そして1750年、65歳で逝去。その間の略歴は文末に表記した。

ケーテン時代とは、バッハがケーテン宮廷の楽長として就任していた1717年から23年までの約7年間、32歳から38歳までの期間。その後ライプツィヒの聖トーマス教会合唱長に就く。一方ケーテン時代の前は23歳でワイマールの宮廷楽団楽師として就任し29歳で楽師長に任命されている。一言で言えばバッハの30代であった。

この時代の主な作品と作曲された時のバッハの年齢を並べてみる。
・無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全6曲   35歳
・無伴奏チェロ組曲 全6曲                      32-38歳
・無伴奏フルートのためのパルティータ              35歳
・ブランデンブルク協奏曲全6曲                   23-35歳
・管弦楽組曲1番と4番                         32歳
・平均律クラヴィーア曲集第1巻                   37歳
・ミサ ロ短調                               39歳

確かに大曲のほとんどが30代に作曲されていた。日本でいえばほぼ元禄文化の絶頂期。

ちなみに晩年の傑作は下記のとおり。
・平均律クラヴィーア曲集第2巻                   53-57歳
・チェンバロ協奏曲第1-6番                      53-57歳
・ゴルトベルク変奏曲                          59歳
・フーガの技法                              57歳-64歳

バッハとういと老人の大作曲家というイメージは虚像で、300年間未だ誰も越えることのできない音楽史上の最高傑作の数々は30代という、行ってみれば若者が作曲したものだった。目から鱗。30代の我が身はというと、バンコク事務所の初代副所長として赴任し、ゴルフを始め、次女が生まれ、副所長とは名ばかりの酒と薔薇の日々。その後東京に帰ったが、この時期たいした成果を残していない普通の30代のおじさんだった。
当時の沢口靖子との2ショット 沢口靖子3


おまけとして肖像画の出典を記しておく。2015年の6月に、クラシック音楽愛好家の米国人富豪の遺志でライプチヒ市に返還された。1748年に描かれたというからバッハ63歳の時の肖像、死の2年前になる。
バッハ肖像画2

バッハ年表


関連記事
スポンサーサイト



*Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

プロフィール

時の旅人

Author:時の旅人
辰年の獅子座のO型

最新記事

カレンダー

05 | 2023/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

月別アーカイブ

右サイドメニュー

検索フォーム

最新トラックバック