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風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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三毛別羆事件と大崎善生

新潟県で9月23日~10月1日の9日間に計7人がクマに襲われてけがをしたそうだ。クマは冬眠前の秋に栄養を蓄える必要があり、山に木の実がなければ餌を求めて人里に出没する。新潟県が7~8月に県内432地点で木の実の生育状況を調査したところ、ブナの実は過去10年間で最も不作だった。加えて、クマの生態に詳しい新潟大農学部の箕口秀夫教授によると「人里近くで活動し、人間を怖がらない『新世代クマ』が出てきている」との話。

脇道にそれるが、ブナの実が少なければミズナラの実も少ないだろうから、ドングリの除去作業が少なくてすむのでこの部分だけはグッドニュース。、
10月4日 朝刊から 20201004クマ

本州のクマはツキノワグマだから危険であるのは確かだが、エイリアンやジュラシックパークのレプトルに対するような恐怖感はない。北海道のヒグマは大型でより狂暴というから近づかないにこしたことはないが、100年前にエイリアン並みのヒグマが現れたそうだ。先月、NHKのBSプレミアムの 午後11:45~午前0:45という時間帯で、『ダークサイドミステリー「三毛別ヒグマ襲撃事件の謎に迫る」』という番組を観た。

NHKのHPの番組案内にこうある;:雄大な山野の小さな家を魔獣が襲った、謎の事件。大正4年、開拓の夢に生きる人々、特に女性や子どもが殺され続け、死者8人。日本史上最悪の獣害と言われる「三毛別ヒグマ事件」は、事件から100年以上たっても、今なお謎が多い。本来、人間を警戒し接触を避けるヒグマが、なぜ連日人々を襲ったのか?なぜヒグマは多数の銃から逃げ延び、不死身ぶりを発揮したのか?人間とヒグマは共存できるのか?知られざる戦いの全貌を描く。

全く知らなかったが、全貌を観てびっくり、人家がヒグマに襲われ女子供がわずか三日間で8人食い殺された。

後日、ウィキペディアを見ると、「三毛別羆事件」というページが立っていた。「1915年(大正4年)12月9日から12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別(現:苫前町三渓)六線沢で発生した、クマの獣害としては日本史上最悪の被害を出した事件。」と始まり、事件の経緯がドキュメント風に長文で描かれている大作。とても引用できないので目次だけ紹介。これを読めば事件の概要はテレビ以上によくわかる。

1 事件の経緯
1.1 池田家の騒動

1.2 12月9日
1.2.1 太田家の惨劇

1.3 12月10日
1.3.1 捜索
1.3.2 太田家への再襲
1.3.3 明景家の惨劇

1.4 12月11日

1.5 12月12日
1.5.1 討伐隊の組織
1.5.2 待ち伏せ

1.6 12月13日

1.7 12月14日
1.7.1 最期
1.7.2 熊風
1.7.3 解剖

1.8 その後

左は銃殺されたヒグマ、右は記念館のクマと人。いずれも化け物のようなヒグマであることがわかる。
三毛別ひぐま 三毛別ヒグマ2

復元された被害者の住居と内部。クマもさることながら、道北のこんな粗末な住居で冬を越していたことにも驚き。
三毛別復元家屋 三毛別ヒグマ4

この事件、北海道出身の妻も知らなかったが、当たり前だが知る人は知っていたらしい。大崎善生の2010年に発行された「存在というダンス」の(上)の最後の方にヒグマが家を襲い複数の人が食われるというシーンが登場する、場所の名前は12番線沢。ヒグマの登場にとても違和感を感じたので覚えていた。NHKの番組を観た最初の印象は、この話大崎善生が書いていたよな、だった。

大崎善生は北海道育ち、だからこの話を知っていたのだと思う。彼は早稲田大学にはいり、学生時代は町の将棋クラブに入り浸りの生活、やがて「将棋世界の」編集長になった。ノルウェー時代に親交があったのでちょっと詳しい。

その事情は以前に「大崎善生とオスロの思い出」という記事を書いたのでお暇な方はどうぞ→こちら
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