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2020.11/08 [Sun]
サロマ湖の湖口物語
昨夜の「ブラタモリ」、サロマ湖がテーマだったので我家では朝から楽しみにしていた。全国の8割のホタテを生産する北海道で旅のお題「“サロマ湖といえばホタテ”なのはなぜ?」を探る、というテーマ。妻は北海道の常呂町の育ちで、サロマ湖東部は庭のようなもの、私も連れられて何度か訪れているので他人事でもない。期待通り、知っている場所と知っている話がたくさん登場し、かつ放映されない裏話などをしながら盛り上がった。
11月7日(土)
ホタテの養殖技術は常呂漁協が開発したもので、40数年前頃は妻の実家に行くといつも巨大なホタテが山のように出てきた。ただ常呂漁協は特許を取らなかったので、開発者の努力は報われずに終わったそうだ。こんな話は当然放映されない。ホタテは養殖より外海で取れた自然のものの方が美味しいと話した途端、サロマ湖で養殖した稚貝を外洋に放流しているという絵が流れたのもおかしかった。
また、「常南ビーチ」なるところでの収録画像が流れた。昔前浜と読んでいた砂浜で、2月には流氷でびっしり覆われる。知った場所だけに赤面するような改名にびっくり。現北見市のHPには、「オホーツクの短い夏を楽しめる「ところ常南ビーチ海水浴場」!!わずか23日間のビーチには、人工のヤシの木が設置され南国気分を味わうことができます。」とあった。夏でも水温は18度ぐらいで、海から上がると唇が紫になったという。そうだろうと思う。
中でも興味深かったのが「ホタテ生産のカギをにぎる砂州の「切れ目」はどうできた?」というセクション。第一湖口は地元漁民が1929年に無許可で掘削、その後、荒天により開口部が広がったという話だけが詳しく流されたが、第二湖口に関しては1979年に開口されたという事実が紹介されただけ。自然の開口部があったサロマ湖東部の常呂栄浦の漁民が豊かだったのに較べ貧しかった西部が豊かになり、一方栄浦の漁民は自然の開口部が埋まってしまい外海に出られなくなって寂れた、という話が面白かったのだろう。
この話は常呂住民にとっては皆知っている話で、50年間耐え忍んでの1979年開口を妻もはっきり覚えているという。
サロマ湖付近。赤い星が妻の育った家の場所。

まるでNHKの宣伝のようだが、今日は9時から「新型コロナ 全論文解読〜AIで迫る いま知りたいこと〜」なる番組がある。どうまとめるのかわからないがちょっとこれも楽しみ。

11月7日(土)

ホタテの養殖技術は常呂漁協が開発したもので、40数年前頃は妻の実家に行くといつも巨大なホタテが山のように出てきた。ただ常呂漁協は特許を取らなかったので、開発者の努力は報われずに終わったそうだ。こんな話は当然放映されない。ホタテは養殖より外海で取れた自然のものの方が美味しいと話した途端、サロマ湖で養殖した稚貝を外洋に放流しているという絵が流れたのもおかしかった。
また、「常南ビーチ」なるところでの収録画像が流れた。昔前浜と読んでいた砂浜で、2月には流氷でびっしり覆われる。知った場所だけに赤面するような改名にびっくり。現北見市のHPには、「オホーツクの短い夏を楽しめる「ところ常南ビーチ海水浴場」!!わずか23日間のビーチには、人工のヤシの木が設置され南国気分を味わうことができます。」とあった。夏でも水温は18度ぐらいで、海から上がると唇が紫になったという。そうだろうと思う。
中でも興味深かったのが「ホタテ生産のカギをにぎる砂州の「切れ目」はどうできた?」というセクション。第一湖口は地元漁民が1929年に無許可で掘削、その後、荒天により開口部が広がったという話だけが詳しく流されたが、第二湖口に関しては1979年に開口されたという事実が紹介されただけ。自然の開口部があったサロマ湖東部の常呂栄浦の漁民が豊かだったのに較べ貧しかった西部が豊かになり、一方栄浦の漁民は自然の開口部が埋まってしまい外海に出られなくなって寂れた、という話が面白かったのだろう。
この話は常呂住民にとっては皆知っている話で、50年間耐え忍んでの1979年開口を妻もはっきり覚えているという。
サロマ湖付近。赤い星が妻の育った家の場所。

まるでNHKの宣伝のようだが、今日は9時から「新型コロナ 全論文解読〜AIで迫る いま知りたいこと〜」なる番組がある。どうまとめるのかわからないがちょっとこれも楽しみ。

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