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風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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山頭火の自殺未遂

現在、「季」誌に連載中の「捨てて拾われ青い山 第32回」を締め切りに追われ執筆中(といっても締め切りは自分で決めるのだが)。

山頭火は昭和十年(1935年)の8月10日に服毒自殺を図っている。しかし大山澄太は「俳人山頭火の生涯」の中でこの事件については一言も触れていないし、ウィキペディアの山頭火のページにもこの件に関する記載はない。さらにウェブ上で検索しても該当するページはなく、いわば世の中から消し去られているような状況にある。名もなき人であれば世の関心もないだろうから当然だが、山頭火は日本人にとっては有名人、山頭火が自殺を図り、運が悪ければそのまま死んでいたという事件はやはり、ウェブ上に記録をとどめねばならない。

ということで、執筆中の草稿の自殺未遂の顛末部分を添付しておく。

八月十日の日記である。日付の下に「第二誕生日、廻光返照」と記してあり、書かれた内容からみて十日付ではあるものの、後日に記したと思われる。昭和十年の夏、山頭火は重篤な鬱状態にあった。鬱病というべきかもしれない。七月の日記は、生と死の間でもがき続ける山頭火の自画像そのものといえる。「晴れてよろし、降ってよろし、何もかもみなよろし」とたった一行で綴った八月六日から九日までの四日間は、まさに三途の川の岸辺に立った人間の、心底から絞り出された辞世の感慨だったに違いない。十日の日記の本文から推測される自殺未遂の顛末は以下のようなものだったと思われる。

自殺の手段は、常習していた睡眠薬カルモチンの大量摂取であった。太宰治をはじめ多くの文士がこの薬で自殺を図っており、この時代には普通に販売されていて入手も容易だった。山頭火が服用したのは、おそらく九日の日記を記した後、日付は午前零時を回って十日になっていたのだろう。

そのまま死に至るケースもあるのだが、一方死に至らないケースも多いようで、太宰治と同じく山頭火も結果として自殺未遂に終わった。服用後、眠りに堕ちたものの大量摂取の副作用による猛烈な吐き気で覚醒、苦しみつつ縁先に這い出て吐瀉、そのまま意識を失い縁から転がり落ちて雑草の中にうつ伏せに倒れ込んだ。

十日は雨、それが幸いしたのか雨に打たれて自然的に意識を回復した、と日記に記している。日記はこう続く。「顔も手も擦りむいた、さすがに不死身に近い私も数日間動けなかった、水ばかり飲んで、自業自得を痛感しつつ生死の境を彷徨した。・・・」。これが「第二誕生日」と記したゆえんである。
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