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2021.07/04 [Sun]
「灰燼」
今の若い人たちにとって無くてはならない存在はスマホ、その前の時代はパソコン、ネットサーフィンなる言葉も存在した。更に前がテレビか、そしてその前の時代はラジオだった。しかもAMで夜から深夜、50年前の話だ。深夜放送を聴きながら受験勉強をするというどう見ても効率の悪い生活が、少なくとも自分には普通だったし、たぶん世の中でも普通だったような気がする。
その頃、たぶんNHKだったと思う、「朗読の時間」という番組があった。短編の小説を役者などのプロが短編の小説を朗読するという地味な番組。熱心なファンではなかったが、時々聴いていた。その中で深く印象に残っていた作品が「灰燼」だった。
しかしタイトルは覚えているが作者が誰なのか聞きそびれたか記憶には残らなかった。文庫本にそんなタイトルの本はなく、また当時は調べようもなかったので、そのまま50年間記憶の底に深く沈んだままだった。話の内容も全く記憶になく、残っているのは感動を覚えたという残渣のような記憶だけ。
その「灰燼」が昨日の夕刊で取り上げられていた。作者が上司小剣(かみつかさしょうけん)であることを50年経ってようやく知った。「灰燼(かいじん)」(1908年)は上司小剣の初期の作品で、当時住み始めた東京の南郊、荏原郡目黒村のありさまを伝えているそうだ。突然、50年前の記憶が走馬灯のように蘇った。
その頃、たぶんNHKだったと思う、「朗読の時間」という番組があった。短編の小説を役者などのプロが短編の小説を朗読するという地味な番組。熱心なファンではなかったが、時々聴いていた。その中で深く印象に残っていた作品が「灰燼」だった。
しかしタイトルは覚えているが作者が誰なのか聞きそびれたか記憶には残らなかった。文庫本にそんなタイトルの本はなく、また当時は調べようもなかったので、そのまま50年間記憶の底に深く沈んだままだった。話の内容も全く記憶になく、残っているのは感動を覚えたという残渣のような記憶だけ。
その「灰燼」が昨日の夕刊で取り上げられていた。作者が上司小剣(かみつかさしょうけん)であることを50年経ってようやく知った。「灰燼(かいじん)」(1908年)は上司小剣の初期の作品で、当時住み始めた東京の南郊、荏原郡目黒村のありさまを伝えているそうだ。突然、50年前の記憶が走馬灯のように蘇った。
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