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風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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中城

今朝の新聞にウイスキーに関するランキングが掲載されていた。ウイスキーに関する質問があって、正答率の低い順のランキング、8位が下図の問題。正答率は34%。
NIKKEIプラス1より  20210904ペリー

答はペリーで、1983年の浦賀への来航時に、船上で幕府の通詞や与力を接待し、ウイスキーを振舞ったのが最初ということになっているらしい。目が止まったのはその次の一節、「だが実は『ペリーは浦賀に到着する前に琉球でもウイスキーを振舞った』」。

4年ほど前に沖縄本島を訪れた。この時のメインの目的は沖縄の城(グスク)巡りで、もっとも印象に残ったのが中城(ナカグスクと読む)だった。そこの解説に、ペリーが浦賀に行く前に沖縄に寄航しここ中城を訪問したとあり、とても驚いた記憶が鮮やかに残っている。上の記述はその時の話らしい。

1853年、日本の開国をうながしたアメリカのペリー提督一行は、日本本土へ向かう途中に来琉し、島内探検隊を派遣して中城城跡の視察調査を行って城の状況を描いた絵図や測量図面等を残しています。

彼が監修した「日本遠征記」には「~要塞の資材は石灰岩であり、その石造建築物は賞讃すべき構造のものであった。・・・非常に注意深く刻まれてつなぎ合わされているので、漆喰もセメントも何も用いてないが、この工事の耐久性を損なうようにも思わなかった。~」(一部抜粋)と記されていて、400年以上の風雨に耐えた城壁を築いた琉球人の建築技術の高さに、当時の先進国であったアメリカの軍人たちも大変驚いたようでした。


日本人も驚くぐらいだから、ペリーが驚くのも無理はない。当時のアメリカは南北戦争前のゴールドラッシュ時代、その400年前の日本でこのような高度の技術を持った文化が存在していたことに、畏敬の念すら抱いて開国を迫ったに違いない。このスケッチがネット上にあった。ハイネという同行の画家が描いたそうだ。
20210904中城ハイネ1 (2)

20210904中城ハイネ2 (2)

20210904中城ハイネ3 (2)

20210904中城ハイネ4 (2)

中城の全体はこんな感じ。今は修復や整備が進みきれいに維持管理されているが、150年前の廃墟のままの中城はさぞや壮観だったことだろう。
20210904中城航空写真 (2)

この度で最後に訪れたのが中城、他の主なグスクを訪ねた後だったので、一応沖縄の城が本土の城とは全く異なるスゴイ存在分であることは十分わかっていた、それでも規模といい、デザインといい、石積みの美しさといい、立地といいダントツの城。本州の城の100年以上前に建造されているというのも驚き。詳しい記録はこちら。
→沖縄本島二泊三日レンタカー付の旅 (3) DSC_2229.jpg





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