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拉致問題とマスコミの態度豹変の歴史

今日の日経新聞夕刊 20211115拉致44年

「1977年に中学1年の横田めぐみさん(失踪当時13)が新潟市内から北朝鮮に拉致され、15日で44年となった。」と他人事のような書き出しで始まる日経新聞の記事。

拉致問題に関し、産経新聞以外の新聞テレビが同情を煽る報道するたびに、この偽善者連中め、との憤りを繰り返し覚えてしまう。1980年代、社会党が社民党に代わったとはいえまだ自民党に対峙している政党だった。某新聞等の国民に対する洗脳報道体質は以前から変わらず、社民党に不利益なことは報じない。拉致問題に対する社民党とマスコミの態度に関しては、以前にもブログに記した記憶があるので検索すると、2014年11月と2019年3月に書いていた。2019年の記事は経緯を詳しく記しているので下記に再掲する。赤字の強調は管理人。

この機会に拉致問題の経緯を記しておく。出典はウィキペディア。

0)社民党は、社会党時代の1963年に第一次訪朝団を派遣して以来、朝鮮労働党との交流を積み上げ、「朝鮮労働党唯一の友党」を標榜してきた。 実際、土井たか子を含め多くの党員が国交のない北朝鮮を頻繁に訪問していた。

1)1970年代から1980年代にかけ、日本国内において、不自然な形で行方不明となる者が出ていた。警察による捜査や、亡命北朝鮮工作員や逮捕された土台人の証言などから、北朝鮮工作員による、日本人拉致の疑いが濃厚であった。

2)1980年1月7日、産経新聞がマスメディアにて初めて拉致事件の報道をする。タイトルは「アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」。

3)1986年9月、土井たか子が第10代社会党委員長に就任

4)1988年1月、衆議院本会議において民社党の塚本三郎委員長が代表質問で、いくつかの行方不明事件や拉致未遂事件について北朝鮮による犯行ではないかと指摘し、真相究明を求めた。この質問が国会において初めて北朝鮮による日本人拉致について取り上げられたもの。

5)1988年3月、参議院予算委員会で日本共産党の橋本敦が拉致問題について質問。これに対し国家公安委員会委員長の梶山静六は北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であることの見方を示し、真相究明のために全力を尽くす考えであることを表明した。これが北朝鮮による日本人拉致事件の存在を政府が認めた初めての公式答弁。これに続き外務大臣宇野宗佑は「我々の主権が侵されていたという問題」「全くもって許しがたい人道上の問題」「強い憤り」「主権国家として当然とるべき措置はとらねばならぬ」と答弁。法務大臣林田悠紀夫は「我が国の主権を侵害するまことに重大な事件」「判明したならばそこで処置」と、更に警察庁警備局長城内康光は「一連の事件は北朝鮮による拉致の疑い」「既にそういった観点から捜査を行っている」と答弁。

なお、産経新聞以外はこの梶山国家公安委員長の答弁を報じなかった。

6)一方、1988年8月、ヨーロッパにおいて北朝鮮工作員・よど号ハイジャック事件犯人関係者に拉致された石岡亨さんと松木薫さん有本恵子さんの消息を伝える石岡さん本人の手紙がポーランド経由で秘密裏に家族の元に届く。この手紙によって行方が分からなくなっていた3名が北朝鮮にいることが判明した。

日頃から北朝鮮とパイプがあることをアピールしていた日本社会党系の政治家に助けを求めることにした。石岡の家族は札幌市の日本社会党北海道連合にも相談したが、「本部に連絡をする。国交がない国なので口外しないように」と言われた。

後日、2002年9月17日、北朝鮮側から恵子さん死亡と伝えられ、さらに死亡とされる日が石岡さんの手紙到着の2ヵ月後だったことから、有本嘉代子さんは「社民党から筒抜けだったんだ。社民党が北朝鮮に連絡してすぐに処刑されたに違いない」と憤激しているとか(この一文は真偽不明)。

7)1997年、社民党機関誌『月刊社会民主』7月号に、「食糧支援拒否する日本政府」と題する論文が掲載され、次のような記載がなされた。
-「拉致疑惑の根拠とされているのは、つい最近、韓国の国家安全企画部(安企部)によってもたらされた情報だけである」
-「産経新聞に掲載された元工作員の証言内容に不自然な点がある」
-「拉致疑惑事件が安企部の脚本、産経の脚色によるデッチあげ事件との疑惑が浮かび上がる」
-「20年前に少女が行方不明になったのは、紛れもない事実である。しかし、それが北朝鮮の犯行とする少女拉致疑惑事件は新しく創作された事件というほかない。……拉致疑惑事件は、日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出された事件なのである」

8)2002年9月、平壌で内閣総理大臣小泉純一郎と国防委員長・金正日の会談。この席で、北朝鮮側は日本人を拉致した事実を認め、謝罪するとともに、拉致被害者の安否を実名で公開した。


以降やっと拉致問題に日が当たるようになり、マスコミも手のひら返しで騒ぐようになった。ヒロインとして象徴化されたのが横田めぐみさん。

後日の平沢勝栄氏の発言、「私は土井たか子さんの(発言を)鮮明に覚えてます。土井たか子さんはね、『拉致問題拉致問題って言うけど、先方が拉致なんかないって言っているんだからないんです』とテレビで言った。これは鮮明に覚えています。」。平沢勝栄は自民党の衆院議員で、日本人拉致問題に関する拉致議連に草創期から関わっていた。

1988年ごろ(33年前)の段階で、マスコミが「全くもって許しがたい人道上の問題」として当時から大騒ぎをしていたら事態は少しは変わっていたのかもしれない。変わらなくてもその事実を国民に知らせるのが報道に携わるものの使命だろう。一言でいえば、唯一の北朝鮮とのパイプである社民党やいくつかの反日新聞やテレビは、少々の国民に命より北朝鮮との友好関係の方を重要視していたのである。冒頭で「他人事のような」と書いたのはこのような含みによる。

以上で憤りを覚える理由は十分だと思うが、2014年11月の記事ではこんな記述があるので傷口に塩。フリージャーナリストの山田高明氏の記事である。

「今にして思えば、社民党は北朝鮮の操り人形に等しかった。この国は拉致事件について「捏造」などと指弾し、慰安婦問題については「20万人強制連行→性奴隷化→大半を殺害」説を公に主張していた。北朝鮮労働党と親しい社民党は長年、この同国の公式見解を丸飲みして対国内で代弁し、要求されるがまま対北国交正常化と賠償の実現を目指していた。当然、02年に金正日が日本人拉致犯罪を公式に認めて以降、社民党と土井たか子氏のこれまでの対北姿勢に批判が集中した。とりわけ土井氏に関しては、拉致被害者家族との面会は全て拒否したばかりか、その情報を流した疑いまで浮上した。

だが、どうやらそれだけに留まらないらしい。実は、拉致問題で日本中が大騒ぎだった頃、警備会社で作る業界団体に再就職していた公安OBから直接、話を聞く機会があった。彼は北朝鮮のスパイを追っていた現場の人間である。それだけに貴重な裏話をたくさん聞くことができた。彼によると、土井氏は「拉致事件の捜査をやめろ」と、警察庁や警視庁に圧力を掛けていたという。「数回ほど怒鳴り込んで来た」こともあったらしい。つまり、彼女は警察の捜査の妨害までしていたのである。この話は当時も流布されていたが、警察の中の人から裏づけを取れたわけだ。それにしても、ほとんど「共犯者」なのに、なんで捕まえないのか? 私は愚問を発した。公安OBは「スパイ防止法がないから」と答えた。」
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