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2021.12/22 [Wed]
新型コロナの未来(1)
12月に入り句会や碁会などで飲食店に入る機会が増えたが11月以前に較べどこも客でいっぱいという現況、劇場やコンサートホールも空席を設けることなくぎっしりと観客で埋まっていた。テレビ新聞ではオミクロンのニュースが毎日流される中で、ヒステリックに自粛する人たちがようやく減少し始めたように見える。
さて先日予告編を書いたが、「新型コロナの未来」の本編を始める。未来を語る前に、まず過去のパンデミックの実態を復習しておく。今日の分のデータや引用は内閣官房HPの「新型インフルエンザ等対策ホーム」というページの「特設ページ」、記事は2018 年から2019年と新型コロナウイルスによるパンデミックが始まる前である。
20~21世紀に人類は4度のインフルエンザパンデミックを経験している。パンデミックの被害がもっとも甚だしく疫学史上最悪の事態となったのが。1918年のスペイン・インフルエンザ、2000万~4000万人の犠牲者が出たと推計されている。
次いで1957年のアジア・インフルエンザでは200万人、1968年の香港・インフルエンザでは100万人もの犠牲者が出た。
興味深いのが以下の記述、スペイン・インフルエンザのウイルスは、当然ながら新型コロナウイルスと同様に変異する。しかし感染者のピークを超えるとウイルスの絶滅によりパンデミックが収束、しばらくして変異した別のウイルスによる次のパンデミックが始まるというのが過去100年のパンデミックの歴史。その間はいわゆる季節性インフルエンザが毎年冬に流行する。これが日本における2019年までの常態だった。その季節性インフルエンザも日本では2020年、新型コロナウイルスの流行が始まる前に絶滅したことは以前に示した通り。
スペイン・インフルエンザのA/H1N1ウイルスはアジア・インフルエンザA/H2N2ウイルスが現れた時に、またA/H2N2ウイルスは香港・インフルエンザA/H3N2ウイルスが現れた時に、それぞれ姿を消した。1977年にはスペイン・インフルエンザ由来のA/H1N1ウイルスが再び登場し、ソ連・インフルエンザとして流行していたが、2009年にパンデミックを引き起こしたブタ由来インフルエンザウイルス(A/H1N1pdm)の出現によって姿を消した。現在、A型ではA/H1N1pdmと香港・インフルエンザA/H3N2の2種類が季節性ウイルスとして流行している。

では、スペイン風邪とも呼ばれるスペイン・インフルエンザについて詳しく見てみる。
スペインインフルエンザの流行は1918年3月に米国のカンザス州から始まった。第一次世界大戦の最中であったため、各国では情報統制が敷かれていたが、参戦しなかったスペインでの流行が広く世界に報道されたため、このパンデミックがあたかもスペイン発であるかのように受け取られ、スペインの名が冠されたという。
当時、第一次世界大戦に参戦するため米国からは何十万人もの若い兵士が軍艦に乗り大西洋を超えてヨーロッパの戦場に向かいましたが、その中にはインフルエンザにかかった者も多く含まれていました。こうしてウイルスは4月から5月にかけて米国からフランス、イタリア、ドイツ、スペイン、イギリス、ロシアへと拡散、同年6月頃までにアフリカ、アジア、南米まで拡がり、地球規模のパンデミックになったと考えられています。
この春の第1波は感染者数は多かったものの、致死率はそれほど高くなく同年夏頃に一旦勢いが低下した。1918年9月頃からの流行を第2波、1919年初頭以降の流行を第3波という。。第2波においては肺炎を合併して重症化する患者や死亡者が多かったことが知られている。戦士の移動に代えての現代のさらに大規模な人の移動という状況や、大きな感染の波の繰り返しをみると、新型コロナの流行の状況と酷似していることがわかる。
このパンデミックは約2年間で収束した。米国ではこの間全人口の25%以上にあたる2500万人が感染し、67万5千人が死亡したという報告があるそうだ。その後にについてはこう記載されている。
その後、米国のスペインインフルエンザの勢いは徐々に衰え、住民の大部分が免疫を獲得するとともに病原性も低下して季節性インフルエンザに移行していきました。そしてこのウイルスは、1957年に次のアジアインフルエンザが出現するまで季節性インフルエンザとして毎年流行し続けました。
では資料も状況に関する詳しい記載もある日本でのスペインインフルエンザの状況はいかなるものだったのか?
わが国では1918年(大正7年)8月下旬からスペインインフルエンザの流行が始まり、各地の学校や軍隊を中心に1カ月ほどのうちに全国に広がった。10月末になると、郵便・電話局員、工場・炭鉱労働者、鉄道会社従業員、医療従事者なども巻き込み、経済活動や公共サービス、医療に支障が出ます。11月には全国的な大流行となった。
記事を執筆された防衛医科大学校病院副院長(兼)感染症・呼吸器内科の川名明彦が示された旧日本陸軍病院の実態が下図、11月に入り流行性感冒または肺炎による入院患者が急増した様子がわかる。

しかし、嵐のような第1回流行も12月頃には勢いが低下しました。当時の内務省衛生局は、日本国内の総人口5,719万人に対し、第1回流行期間中の総患者数は2,116万8千人と報告しています。すなわち国民の約37%がこの期間にインフルエンザにかかったことになります。このうち、総死亡者数は25万7千人とされていますので、単純に計算すると致死率は1.2%になります。
国民の約三分の一が感染したとあれば、感染しなかった国民全てもウイルスの被曝を受けたと考えられる。ただ発症しなかっただけで、感染者を含めれば全国民が12月末には強力なワクチン接種を受けた状況にあったと考えられる。
その後、第2回流行(1919年9月~1920年7月)では総患者数241万2千人、総死亡者数12万8千人(致死率5.3%)、第3回流行(1920年8月~1921年7月)では総患者数22万4千人、総死亡者数3,698人(致死率1.6%)と記録されています。内務省衛生局の資料をもとに日本のスペインインフルエンザの時間経過と患者数および致死率の推移を図-2に示しました。
アメリカの第2波(1918年9月から)と日本の第2回流行(2019年9月)からは1年間の時間差があるが、死亡率が高くなった点に注目すればアメリカの第2波と日本の第2回は同じウイルスであった可能性がる。時間差は当時の人の移動密度で説明できるのかもしれない。ポイントは第2回の感染者数が第1回の10分の1と桁違いに少ない点にある。第3回もさらに約10分の1に。
もうひとつのポイントが、社会的に大きな影響のある感染状況は2年間で収束していること。アメリカと同じであった。
わが国のスペインインフルエンザもその後国民の大部分が免疫を獲得するにつれて死亡率も低下し、季節性インフルエンザに移行して行きました。

この記事の終わりにこうある。冒頭に記したように記事が書かれたのは新型コロナウイルスによる感染症(COVID-19)の現れる一年前である。
(前略)その後、ウイルスの全塩基配列の決定も可能となり、スペインインフルエンザのウイルス遺伝子を持ったウイルスを使った研究が行われています。その結果、このウイルスは哺乳類の肺に強い障害を引き起こし、また呼吸器系でウイルスが効率よく増殖することなどが明らかとなっています。
〈おわりに》
過去100年を振り返ると、パンデミックとパンデミックの間で最も短かったのは1957年アジアインフルエンザから1968年香港インフルエンザまでの11年です。2009年に起きた直近のパンデミックから早くも10年が経過しようとしている現在、もう次のパンデミックが出現しても全く不思議ではありません。
(続く)
さて先日予告編を書いたが、「新型コロナの未来」の本編を始める。未来を語る前に、まず過去のパンデミックの実態を復習しておく。今日の分のデータや引用は内閣官房HPの「新型インフルエンザ等対策ホーム」というページの「特設ページ」、記事は2018 年から2019年と新型コロナウイルスによるパンデミックが始まる前である。
20~21世紀に人類は4度のインフルエンザパンデミックを経験している。パンデミックの被害がもっとも甚だしく疫学史上最悪の事態となったのが。1918年のスペイン・インフルエンザ、2000万~4000万人の犠牲者が出たと推計されている。
次いで1957年のアジア・インフルエンザでは200万人、1968年の香港・インフルエンザでは100万人もの犠牲者が出た。
興味深いのが以下の記述、スペイン・インフルエンザのウイルスは、当然ながら新型コロナウイルスと同様に変異する。しかし感染者のピークを超えるとウイルスの絶滅によりパンデミックが収束、しばらくして変異した別のウイルスによる次のパンデミックが始まるというのが過去100年のパンデミックの歴史。その間はいわゆる季節性インフルエンザが毎年冬に流行する。これが日本における2019年までの常態だった。その季節性インフルエンザも日本では2020年、新型コロナウイルスの流行が始まる前に絶滅したことは以前に示した通り。
スペイン・インフルエンザのA/H1N1ウイルスはアジア・インフルエンザA/H2N2ウイルスが現れた時に、またA/H2N2ウイルスは香港・インフルエンザA/H3N2ウイルスが現れた時に、それぞれ姿を消した。1977年にはスペイン・インフルエンザ由来のA/H1N1ウイルスが再び登場し、ソ連・インフルエンザとして流行していたが、2009年にパンデミックを引き起こしたブタ由来インフルエンザウイルス(A/H1N1pdm)の出現によって姿を消した。現在、A型ではA/H1N1pdmと香港・インフルエンザA/H3N2の2種類が季節性ウイルスとして流行している。

では、スペイン風邪とも呼ばれるスペイン・インフルエンザについて詳しく見てみる。
スペインインフルエンザの流行は1918年3月に米国のカンザス州から始まった。第一次世界大戦の最中であったため、各国では情報統制が敷かれていたが、参戦しなかったスペインでの流行が広く世界に報道されたため、このパンデミックがあたかもスペイン発であるかのように受け取られ、スペインの名が冠されたという。
当時、第一次世界大戦に参戦するため米国からは何十万人もの若い兵士が軍艦に乗り大西洋を超えてヨーロッパの戦場に向かいましたが、その中にはインフルエンザにかかった者も多く含まれていました。こうしてウイルスは4月から5月にかけて米国からフランス、イタリア、ドイツ、スペイン、イギリス、ロシアへと拡散、同年6月頃までにアフリカ、アジア、南米まで拡がり、地球規模のパンデミックになったと考えられています。
この春の第1波は感染者数は多かったものの、致死率はそれほど高くなく同年夏頃に一旦勢いが低下した。1918年9月頃からの流行を第2波、1919年初頭以降の流行を第3波という。。第2波においては肺炎を合併して重症化する患者や死亡者が多かったことが知られている。戦士の移動に代えての現代のさらに大規模な人の移動という状況や、大きな感染の波の繰り返しをみると、新型コロナの流行の状況と酷似していることがわかる。
このパンデミックは約2年間で収束した。米国ではこの間全人口の25%以上にあたる2500万人が感染し、67万5千人が死亡したという報告があるそうだ。その後にについてはこう記載されている。
その後、米国のスペインインフルエンザの勢いは徐々に衰え、住民の大部分が免疫を獲得するとともに病原性も低下して季節性インフルエンザに移行していきました。そしてこのウイルスは、1957年に次のアジアインフルエンザが出現するまで季節性インフルエンザとして毎年流行し続けました。
では資料も状況に関する詳しい記載もある日本でのスペインインフルエンザの状況はいかなるものだったのか?
わが国では1918年(大正7年)8月下旬からスペインインフルエンザの流行が始まり、各地の学校や軍隊を中心に1カ月ほどのうちに全国に広がった。10月末になると、郵便・電話局員、工場・炭鉱労働者、鉄道会社従業員、医療従事者なども巻き込み、経済活動や公共サービス、医療に支障が出ます。11月には全国的な大流行となった。
記事を執筆された防衛医科大学校病院副院長(兼)感染症・呼吸器内科の川名明彦が示された旧日本陸軍病院の実態が下図、11月に入り流行性感冒または肺炎による入院患者が急増した様子がわかる。

しかし、嵐のような第1回流行も12月頃には勢いが低下しました。当時の内務省衛生局は、日本国内の総人口5,719万人に対し、第1回流行期間中の総患者数は2,116万8千人と報告しています。すなわち国民の約37%がこの期間にインフルエンザにかかったことになります。このうち、総死亡者数は25万7千人とされていますので、単純に計算すると致死率は1.2%になります。
国民の約三分の一が感染したとあれば、感染しなかった国民全てもウイルスの被曝を受けたと考えられる。ただ発症しなかっただけで、感染者を含めれば全国民が12月末には強力なワクチン接種を受けた状況にあったと考えられる。
その後、第2回流行(1919年9月~1920年7月)では総患者数241万2千人、総死亡者数12万8千人(致死率5.3%)、第3回流行(1920年8月~1921年7月)では総患者数22万4千人、総死亡者数3,698人(致死率1.6%)と記録されています。内務省衛生局の資料をもとに日本のスペインインフルエンザの時間経過と患者数および致死率の推移を図-2に示しました。
アメリカの第2波(1918年9月から)と日本の第2回流行(2019年9月)からは1年間の時間差があるが、死亡率が高くなった点に注目すればアメリカの第2波と日本の第2回は同じウイルスであった可能性がる。時間差は当時の人の移動密度で説明できるのかもしれない。ポイントは第2回の感染者数が第1回の10分の1と桁違いに少ない点にある。第3回もさらに約10分の1に。
もうひとつのポイントが、社会的に大きな影響のある感染状況は2年間で収束していること。アメリカと同じであった。
わが国のスペインインフルエンザもその後国民の大部分が免疫を獲得するにつれて死亡率も低下し、季節性インフルエンザに移行して行きました。

この記事の終わりにこうある。冒頭に記したように記事が書かれたのは新型コロナウイルスによる感染症(COVID-19)の現れる一年前である。
(前略)その後、ウイルスの全塩基配列の決定も可能となり、スペインインフルエンザのウイルス遺伝子を持ったウイルスを使った研究が行われています。その結果、このウイルスは哺乳類の肺に強い障害を引き起こし、また呼吸器系でウイルスが効率よく増殖することなどが明らかとなっています。
〈おわりに》
過去100年を振り返ると、パンデミックとパンデミックの間で最も短かったのは1957年アジアインフルエンザから1968年香港インフルエンザまでの11年です。2009年に起きた直近のパンデミックから早くも10年が経過しようとしている現在、もう次のパンデミックが出現しても全く不思議ではありません。
(続く)
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