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2022.03/02 [Wed]
ウクライナ軍事侵攻:あおり運転は犯罪(前半)
ロシアのウクライナへの侵攻の模様とロシアに対する制裁のニュースであふれかえる毎日、世界中のほとんどの国がロシアを敵視している報道が流されている。
ソ連が崩壊した1991年当時、ソ連のある州と原油の増産プロジェクトの共同事業設立のため、州都にたびたび出張していた。モスクワ経由で現地に寝台列車や飛行機で向かうのだが、到着した日はモスクワに滞在する。国営デパートであるグムでは、ガラスの商品棚に、石鹸が一個ずつ30センチ間隔ぐらいで並べられていた。街角には、いろんもの、勤め先から持ち出したものもあるのだろう、が路上で売られ、琥珀のネックレスなどを買った。我が家の最初の三葉虫はこの時買ったもの。10ドルだった。
現地はホテルはなく、州の施設に泊まった。日中の仕事が終われば一緒に飲んで食べての時間。一度、別荘小屋に招待されたこともある。ロシアでは別荘を持つのはごく普通だった。ノルウェーも同じ。
30年以上も昔の話だがその経験から、普通の日本人とは異なり、素直にロシアの発言を読むことができると思っている。以前、北方領土問題について何回か、書くことができたのもその視点があったから。
ニュース等を色眼鏡を外して読むと、ロシアの主張は論理的でゆえに一貫性があることが多い。その視点で改めて今回のウクライナ問題の新聞記事を読み直してみた。出典はすべて日経新聞。
まず近代史に関する基礎知識。
・第二次世界大戦が終わり、共産主義のソビエト連邦との対立が激しさを増す中で、ソ連を中心とする共産圏(東側諸国)に対抗するため、イギリスやアメリカが主体となり、1949年4月に結成されたのがNATO(北大西洋条約機構)。実質的に西側陣営の多国間軍事同盟である。
・ソ連側もこれに対抗するため、6年後の冷戦期の1955年、ソ連を盟主とした東ヨーロッパ諸国が軍事同盟を結成、これがワルシャワ条約機構である。しかし、1989年の冷戦終結に伴い東欧諸国において共産主義体制が連続的に民主化されたのに伴い、1991年3月に軍事機構を廃止、7月1日に正式解散した。同年12月にはソ連が崩壊。
・概ね、下図の灰色の諸国がワルシャワ条約機構の国々と思ってよい。ワルシャワ条約機構健在の間は、ソ連はNATO軍から緩衝国としての東ヨーロッパに守られている形になっていた。ソ連解体後、これらロシアの盾となっていた緩衝国が2009年にはすべてNATO,すなわち有事の際にはロシアを攻撃する側に回ったのである。それぞれ主権のある国家ゆえ、ロシアは危機感を覚えつつもどうする術もなかった。
ベラルーシとウクライナは元はソ連の一員であったので冷戦時代の緩衝国ではない。バルト三国もソ連の一員であったが、これら三か国がNATOに加盟する際に軍事介入があった記憶はない。ポーランドとの間にカリーニングラードというロシアの飛び地があり、地政学的に脅威ではなかったからだろう。現在はベラルーシとウクライナのソ連解体後の二か国だけがロシアとNATOの緩衝国になっているというのが現状である。
日経新聞より
ソ連が崩壊した1991年当時、ソ連のある州と原油の増産プロジェクトの共同事業設立のため、州都にたびたび出張していた。モスクワ経由で現地に寝台列車や飛行機で向かうのだが、到着した日はモスクワに滞在する。国営デパートであるグムでは、ガラスの商品棚に、石鹸が一個ずつ30センチ間隔ぐらいで並べられていた。街角には、いろんもの、勤め先から持ち出したものもあるのだろう、が路上で売られ、琥珀のネックレスなどを買った。我が家の最初の三葉虫はこの時買ったもの。10ドルだった。
現地はホテルはなく、州の施設に泊まった。日中の仕事が終われば一緒に飲んで食べての時間。一度、別荘小屋に招待されたこともある。ロシアでは別荘を持つのはごく普通だった。ノルウェーも同じ。
30年以上も昔の話だがその経験から、普通の日本人とは異なり、素直にロシアの発言を読むことができると思っている。以前、北方領土問題について何回か、書くことができたのもその視点があったから。
ニュース等を色眼鏡を外して読むと、ロシアの主張は論理的でゆえに一貫性があることが多い。その視点で改めて今回のウクライナ問題の新聞記事を読み直してみた。出典はすべて日経新聞。
まず近代史に関する基礎知識。
・第二次世界大戦が終わり、共産主義のソビエト連邦との対立が激しさを増す中で、ソ連を中心とする共産圏(東側諸国)に対抗するため、イギリスやアメリカが主体となり、1949年4月に結成されたのがNATO(北大西洋条約機構)。実質的に西側陣営の多国間軍事同盟である。
・ソ連側もこれに対抗するため、6年後の冷戦期の1955年、ソ連を盟主とした東ヨーロッパ諸国が軍事同盟を結成、これがワルシャワ条約機構である。しかし、1989年の冷戦終結に伴い東欧諸国において共産主義体制が連続的に民主化されたのに伴い、1991年3月に軍事機構を廃止、7月1日に正式解散した。同年12月にはソ連が崩壊。
・概ね、下図の灰色の諸国がワルシャワ条約機構の国々と思ってよい。ワルシャワ条約機構健在の間は、ソ連はNATO軍から緩衝国としての東ヨーロッパに守られている形になっていた。ソ連解体後、これらロシアの盾となっていた緩衝国が2009年にはすべてNATO,すなわち有事の際にはロシアを攻撃する側に回ったのである。それぞれ主権のある国家ゆえ、ロシアは危機感を覚えつつもどうする術もなかった。
ベラルーシとウクライナは元はソ連の一員であったので冷戦時代の緩衝国ではない。バルト三国もソ連の一員であったが、これら三か国がNATOに加盟する際に軍事介入があった記憶はない。ポーランドとの間にカリーニングラードというロシアの飛び地があり、地政学的に脅威ではなかったからだろう。現在はベラルーシとウクライナのソ連解体後の二か国だけがロシアとNATOの緩衝国になっているというのが現状である。
日経新聞より

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