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風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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高丘親王航海記:近藤ようこ

数日前に夢枕獏氏がアツい読書感想文を書いておられた。

今回は『高丘親王航海記』(1~4)なのである。もとはあの澁澤龍彦の小説で、実在の人物高丘親王が、唐から天竺(てんじく)までゆこうとして、航海する物語である。澁澤龍彦が、咽頭癌(がん)との闘病中に書かれ、完結はしたものの、本になる前に作者はこの世を去った。これを近藤ようこが漫画化したのが本書である。
読み終えて「ああこの世に近藤ようこがいてよかった」と溜(た)め息が出た。思いつく限り、他のどの漫画家が漫画化しても、こうはならなかったであろう。


澁澤龍彦の『高丘親王航海記』を30年ぐらい前に文庫本で読んだ。今回知ったが、1987年の入院中に書き上げた澁澤最後の作品で、59歳で書かれたもの。いわゆる小説としては内容が極めて異質というか印象的なので記憶に強く残っていた。
2022329近藤ようこ 高岳親王航海記

印象に残ったもう一つの理由が、高丘親王が実在の人物であり、私は全く知らなかったが大河ドラマに登場してもおかしくないほどの人物だったことである。こう書くと歴史小説みたいだが、それを比類なきファンタジーに仕上げた澁澤龍彦も凄いとダブルで感動した。

高岳親王について簡単に記しておく。父は平城天皇、その長子で世が世なら天皇になられた方である。幼少の頃は平城天皇の寵愛を受けていた藤原薬子(くすこ)に可愛がられて育てられた。これが小説の伏線である。西暦800年初め頃の話。平城天皇は弟の嵯峨天皇に譲位、嵯峨天皇は長子を皇太子に迎えるが兄弟間の乱により皇太子を廃され、親王となった。成人後出家、真如親王と呼ばれる。

東大寺の大仏の開眼式は752年だが、100年後の855年に地震により大仏の仏頭が落ちた。東大寺大仏司検校に任じられ修理を行ったのが真如親王。真如親王による開眼は861年。大任を終え入唐求法を志して朝廷に願い出、862年大宰府を出帆、864年長安着。訳あって865年広州より海路天竺を目指し出発する。『高丘親王航海記』はここから始まる。高丘親王67歳の年であった。

もう一つの驚きが近藤ようこ氏。御年64歳、なんと新潟県立新潟中央高等学校時代、高橋留美子らと共に漫画研究会を設立し、近藤は副部長を務めていたとか。普通の人にはなんのことかわからないと思うけど。

前置きがすごく長くなってしまったが、隔離生活が始まったこともあってアマゾンで近藤ようこ版の『高丘親王航海記』全4冊を大人買いした。といっても1冊880円。

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