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風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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紫式部は有段者

高校時代、古文が苦手だったが、一応国立大学も受験するので受験勉強のためには勉強した。理科系だったので古文Ⅰの授業を受けたが、源氏物語は古文II。受験問題の過去問で見たものの、何が書いてあるのか全くわからなかった衝撃を今も覚えている。そんな紫式部の書いた源氏物語には碁の対局場面がいくつもちりばめられているそうだ。代表的な場面が「空蟬」の巻にある。ちなみに紫式部、およそ千年前のお方で、源氏物語は30歳前後で書かれたらしい。
20220514空蝉

上図は源氏物語絵巻のその場面で、十七歳の光源氏が、一度契った人妻の空蟬と義理の娘の軒端萩の対局をのぞき見る場面。

以上は、先日書いた記事に載せた画像の左側の本にあった話である。
4月27日の記事より 20220427.jpg

本ではこの場面の原文と解釈が記されている。源氏物語の原文の記述はこちら。

碁打ちはててけちさすわたり、心とげに見えてきはぎはしそうどけば、奥の人はいと静かにのどめて、「待ちたまへや。そこはぢにこそあらめ。このわたりの劫をこそ」など言へど、「いで、この度は負けにけり。隅のところどころ、いでいで」とおよびをかづめて、「十、二十、三十、四十」などかぞふるさま、伊予の湯桁もたどたどしかるまじう見ゆ。

なんだかわからないが、現代語訳は後にして、この本の囲碁ライターの秋山賢司氏によれば紫式部は三四段、あるいは五段ぐらいだったかも、と書いている。現在の私の棋力は強い五段ぐらい、世が世なら式部ちゃんに黒を持たすか二子を置かせて打てたのにちょっと残念。

紫式部の棋力は源氏物語にある上記の記述から想定できる。相当造詣が深いというか、確かに実戦経験が相当なければこれほど具体的でリアルな表現は出来ない。二年ほど前に浦上玉堂の記事を書いた際に「琴棋書画」に触れたが、平安時代から「琴棋書画」は宮廷を含む上流階級の必須の教養であった。「棋」とは碁のことであるから、紫式部が碁を楽しんでいても不思議ではない。ちなみに同時代の「枕草子」の清少納言、すなわち納言ちゃんも相当な打ち手で「枕草子」にも碁をたくさんとり上げているそうだ。氏の好きなのは「三月晦日」の段だとか。氏によれば納言ちゃんの方が式部ちゃんより上ではないかとのご推察。

さて、上記の源氏物語の現代語訳、何かないかと探すと「源氏物語イラスト口語訳」というHPを作られている方がおられた。2009年から書き続けられている力作で、その中に「空蟬」の巻があったので当該箇所を無断拝借。「奥の人はいと静かにのどめて」から漫画仕立てになっている。
20220514源氏物語イラスト訳で
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