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風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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県代表レベル?だった芭蕉

先日紫式部と清少納言の碁の話を書いたが、秋山賢司氏の本には松尾芭蕉についての章もある。芭蕉は俳人として知られているが実際は連句を好んでいた。俳句の五七五の形は連句における発句であり、連綿と続く連句の中の一つの構成要素でもある。「河」の編集を手伝っていたメンバーのお一人が連句の捌きをするお方で、彼女から連句を習い、座興で歌仙を巻いたことも何回かある。ただ式目(ルール)が複雑、俳句ほど簡単に始められるものではない。

秋山氏、芭蕉の連句を調べてみると碁を詠んだ句が「出てくるわ出てくるわ」と記しており、芭蕉は相当碁好きであったようだ。氏の評価では句の表現から平均的アマ六段よりずうっと強いと記し、藤沢秀行は県代表クラスと評価したそうだ。その例がこちら。旅の途中で打った碁を道中で思い出そうとしたところ思い出せない、というもの。対局後に並べなおすことは簡単にできるが、確かに相当のレベルでないと時間が経過した碁など思い出せるものではない、しかも頭の中で。

 道すがら美濃で打ちける碁を忘る

引用された連句の例、奥の細道の帰路の加賀で巻いたもので七七-五七五-七七の部分である。
 月に起き臥す乞食の楽        (曾良)
 長き夜に碁をつづり居るなつかしさ (芭蕉)
 翠簾(みす)に二人がかはる物ごし (塵生)


連句とは式目によって句が次々と関連づいて続けて行くものだが、芭蕉は曾良の脇句に対して碁の素材を持ってきた。やってみるとわかるが連句は連想ゲーム、自分の経験や知識が表れてしまう。その点で凄いのは塵生の脇句、前回紹介した源氏物語の「空蟬」の対局のシーンから「空蟬」の本題を読み込んでいる。

もう一つ、発句は有名な「あなむざんやな冑の下のきりぎりす」の連句でその21-23句目。こんな所で脇句に碁を持ってこれるのはほとんど碁キチ。
 うつくしき仏を御所に賜りて    (皷幨)
 つづけてかちし囲碁の仕合    (芭蕉)
 暮かけて年の餅つきいそがしき (享子)


松尾芭蕉は1644-1694の人。そのおよそ100年前が井伊直虎、5年前のNHKの大河ドラマ「直虎」で柴咲コウと高橋一生が碁を打つ場面が度々現れた。そのクライマックスが柴咲コウが高橋一生を処刑する場面。その時に高橋一生が残した歌がこれ。ブログに書いたので読み返すと熱く語っているのでご参照のほど→こちら

 白黒をつけむと君をひとり待つ 天つたふ日そ楽しからすや

芭蕉には二子以上置かなければ勝てそうもないが、直虎は常に黒を持っていたようなので勝てるかもしれない。紫式部や納言ちゃん、柴咲コウに白を持って対局したら、さぞ楽しからずや。
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