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2022.06/19 [Sun]
脳の自然な機能
先日、パソコンを開くと現れるポータル画面に、脳科学者の中野信子氏の「なぜ人はウソやフェイクに騙されるのか」という記事があった。 なかなか興味深い内容だったので保存しておいたのだが、今朝の新聞に氏の「フェイク」なる本の広告が掲載されていた。なるほど記事を読めば内容がわかるので本の宣伝効果としては効果的と感心。
氏の本を読んだことはないが、書き物もも多く名前は知っていた。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了という経歴からわかるとおり、ただの評論家とは一味違う。そんな記事の内容は、脳の機能に関するわかりやすい解説で、なるほどそうかもしれないと印象に残った。敬意を表して少々長くなるが一部を最後にコピペしておく。
主旨は脳の機能について。人間の脳は、体全体の中で最も酸素の消費量が多く、その割合は全酸素消費量のおよそ4分の1だそうだ。だから、基本的にあまり働かないように、つまり思考しないようにして脳の活動を効率化し、酸素の消費を抑えようとする。
その結果何が起きるか?
放っておけば人は、論理的に正しいものより、認知的に脳への負荷が低い、つまり分かりやすいものを好むことになる。いくらデータや現実に基づく資料から論理的に正しい解説や説明があっても、必然的にそういう話は長くなり、生理的に拒否されてしまうということだ。逆にわかりやすい言葉は、いくら論理的に無意味であっても、それが真実だと思いやすい。しかも多くはそれが自分で考えた結論とさえ思って平然と話されることも多い。
たまたま最近、アゴラに藤原かずえ氏が「論理に対する嫌悪 」という論説をまとめておられた。上記の脳の機能を巧みに使った印象操作記事である。ただしこちらは科学ではなく実例と解説。面白いのでやはりコピペしておいたもの。こちらも難しい哲学的前置きがあるが、それは省略させてもらって、掲載されていた例を示す。ある新聞の記事でタイトルは「福島原発の処理水処分」、内容からみてどういう系統の新聞かわかるだろう。
経産省の試算では、保管されている全量を1年間で放出すると仮定した場合、トリチウムによる被ばくは自然界の放射線による被ばくの1000分の1以下だという。だが、この問題の受け止め方は一様でない。理屈ばかりを振りかざして処分を急げば、新たな風評被害を生むだけだ。
これに対する論評を中野氏の解説を踏まえて書きなおすとこうなる。最初の一文は、真偽には触れていないが、ある科学的真実を引用したもの。結びの一文は、やはり真偽にはふれず、「理屈ばかりを振りかざして」という根拠なきレッテルをまず貼り、それを根拠として「処分を急げば、新たな風評被害を生む」と結論付けている。ボーッと生きている脳にとって、最初の文に対しては拒否反応を起こして書かれている意味を理解することはできないが、最後の文はわかりやすい。
こうして世論は形成され、記事を書いた記者や掲載を決めたデスクは、自分たちが風評被害を作り上げていることに気が付いていないという喜劇のような現実。
もう一つが仮想の例。やはり、あるデータと理論が示され導きだされた結論に対する反論の例。
そんな考えは、頭でっかちの机上の空論だし、屁理屈だし、こじつけだし、詭弁だ。
引用しなかったが最初のデータや理論に基づく主張に対し、上記の反論は単にレッテルの連続で、反論の体すらなしていないが、新聞に記載されれば多くの人はわかりやすい方を真実だと思う。
日本の社会においてはこの現象が顕著だと思う。そのうち個別の問題について書くつもり、というか実はたくさん書いてきた。くしくも参議院選挙戦が始まった。論戦とは言うが、演説の内容がレッテルの貼り付けから始まり、そこから根拠なき自説を述べているケースが多い。
先日も書いたが、国は論理国語という科目を導入する。脳の自然機能を自覚する人が多くなれば日本はかなり良い国になるだろう。新聞テレビはきっと論理国語を矮小化するだろう、と思うのは非論理的?
中野氏の原文の書き出し。
人間の脳は、論理的に正しいものより、認知的に脳への負荷が低い、つまり分かりやすいものを好むという性質をもっています。 脳は一言で言うと怠け者です。思考のプロセスでもできるだけリソースを使わないようにして、消費するエネルギーを節約しようとしています。
というのも脳は、酸素の消費量が人間の臓器の中で最も多く、その占める割合は、身体全体で消費する酸素量のおよそ4分の1です。ですから、基本的にあまり働かないように、つまり思考しないようにして脳の活動を効率化し、酸素の消費を抑えようとするのです。
例えば脳は「処理流暢性が高い情報」を好みます。「処理流暢性が高い情報」とは、「簡単で分かりやすい情報」です。膨大・複雑でなく、整理されていて、一目瞭然、つまり考えなくて済む、脳が働かなくてよいということです。テレビの映像や、短く整理されたWebの「まとめニュース」などは、処理流暢性の高い情報です。どんなに正しい情報でも、冗長で複雑、処理流暢性が低いと、「何だろう? どういうことなのだろう?」と距離をとって考えますが、逆に多少自分の意思とはずれていても、短く分かりやすい言葉でズバリと言われると、「なるほど」と肯定してしまう。間違った情報だとしても、短いセンテンスでズバッと言うと、耳目に入りやすく納得してしまう。これは処理流暢性が高く、シンプルで理解しやすい情報に対し、脳に「好感」が生じている現象です。
氏の本を読んだことはないが、書き物もも多く名前は知っていた。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了という経歴からわかるとおり、ただの評論家とは一味違う。そんな記事の内容は、脳の機能に関するわかりやすい解説で、なるほどそうかもしれないと印象に残った。敬意を表して少々長くなるが一部を最後にコピペしておく。
主旨は脳の機能について。人間の脳は、体全体の中で最も酸素の消費量が多く、その割合は全酸素消費量のおよそ4分の1だそうだ。だから、基本的にあまり働かないように、つまり思考しないようにして脳の活動を効率化し、酸素の消費を抑えようとする。
その結果何が起きるか?
放っておけば人は、論理的に正しいものより、認知的に脳への負荷が低い、つまり分かりやすいものを好むことになる。いくらデータや現実に基づく資料から論理的に正しい解説や説明があっても、必然的にそういう話は長くなり、生理的に拒否されてしまうということだ。逆にわかりやすい言葉は、いくら論理的に無意味であっても、それが真実だと思いやすい。しかも多くはそれが自分で考えた結論とさえ思って平然と話されることも多い。
たまたま最近、アゴラに藤原かずえ氏が「論理に対する嫌悪 」という論説をまとめておられた。上記の脳の機能を巧みに使った印象操作記事である。ただしこちらは科学ではなく実例と解説。面白いのでやはりコピペしておいたもの。こちらも難しい哲学的前置きがあるが、それは省略させてもらって、掲載されていた例を示す。ある新聞の記事でタイトルは「福島原発の処理水処分」、内容からみてどういう系統の新聞かわかるだろう。
経産省の試算では、保管されている全量を1年間で放出すると仮定した場合、トリチウムによる被ばくは自然界の放射線による被ばくの1000分の1以下だという。だが、この問題の受け止め方は一様でない。理屈ばかりを振りかざして処分を急げば、新たな風評被害を生むだけだ。
これに対する論評を中野氏の解説を踏まえて書きなおすとこうなる。最初の一文は、真偽には触れていないが、ある科学的真実を引用したもの。結びの一文は、やはり真偽にはふれず、「理屈ばかりを振りかざして」という根拠なきレッテルをまず貼り、それを根拠として「処分を急げば、新たな風評被害を生む」と結論付けている。ボーッと生きている脳にとって、最初の文に対しては拒否反応を起こして書かれている意味を理解することはできないが、最後の文はわかりやすい。
こうして世論は形成され、記事を書いた記者や掲載を決めたデスクは、自分たちが風評被害を作り上げていることに気が付いていないという喜劇のような現実。
もう一つが仮想の例。やはり、あるデータと理論が示され導きだされた結論に対する反論の例。
そんな考えは、頭でっかちの机上の空論だし、屁理屈だし、こじつけだし、詭弁だ。
引用しなかったが最初のデータや理論に基づく主張に対し、上記の反論は単にレッテルの連続で、反論の体すらなしていないが、新聞に記載されれば多くの人はわかりやすい方を真実だと思う。
日本の社会においてはこの現象が顕著だと思う。そのうち個別の問題について書くつもり、というか実はたくさん書いてきた。くしくも参議院選挙戦が始まった。論戦とは言うが、演説の内容がレッテルの貼り付けから始まり、そこから根拠なき自説を述べているケースが多い。
先日も書いたが、国は論理国語という科目を導入する。脳の自然機能を自覚する人が多くなれば日本はかなり良い国になるだろう。新聞テレビはきっと論理国語を矮小化するだろう、と思うのは非論理的?
中野氏の原文の書き出し。
人間の脳は、論理的に正しいものより、認知的に脳への負荷が低い、つまり分かりやすいものを好むという性質をもっています。 脳は一言で言うと怠け者です。思考のプロセスでもできるだけリソースを使わないようにして、消費するエネルギーを節約しようとしています。
というのも脳は、酸素の消費量が人間の臓器の中で最も多く、その占める割合は、身体全体で消費する酸素量のおよそ4分の1です。ですから、基本的にあまり働かないように、つまり思考しないようにして脳の活動を効率化し、酸素の消費を抑えようとするのです。
例えば脳は「処理流暢性が高い情報」を好みます。「処理流暢性が高い情報」とは、「簡単で分かりやすい情報」です。膨大・複雑でなく、整理されていて、一目瞭然、つまり考えなくて済む、脳が働かなくてよいということです。テレビの映像や、短く整理されたWebの「まとめニュース」などは、処理流暢性の高い情報です。どんなに正しい情報でも、冗長で複雑、処理流暢性が低いと、「何だろう? どういうことなのだろう?」と距離をとって考えますが、逆に多少自分の意思とはずれていても、短く分かりやすい言葉でズバリと言われると、「なるほど」と肯定してしまう。間違った情報だとしても、短いセンテンスでズバッと言うと、耳目に入りやすく納得してしまう。これは処理流暢性が高く、シンプルで理解しやすい情報に対し、脳に「好感」が生じている現象です。
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