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風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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二度目の救急車

朝、夢を見ていた。夢の中で冷や汗でびっしょりになり、ふと目を覚ますと現実でも汗でびっしょりで、呼吸が苦しいわけではないがまるで50メートル走を目いっぱい走った後みたいに激しい息をしていた。痛さを感じるわけではないがなんとなく左側の腹部が重く苦しい。窓の外が明るくなったころで時計を見ると5時20分台を指していた。

ヘンだな、と思いつつも眠れば治るかもと思ったが、寝付くこともできず状況は悪化していくように思われ、6時過ぎに妻の寝室に「助けて」と転がり込んだ。私は二階の母の寝室を使っていて、妻は三回の我々の寝室を独占して使っている。状況を説明した後、妻が脈を取る。なんか脈が乱れてていると言いつつカウントすると40ぐらいとか。何回か取るとだんだん早くなってきていると言う。腹部の苦しさも強くなりどうもヘンだなというレベルではなさそうということで救急車を呼んだ。

しばらくして、ピポーピポーという音を立てずに救急隊員3名が現れた。改めて症状を説明、脈や体温、血中酸素などを測定し問診に答える頃には冷や汗も息も収まり、症状は小康状態。隊長と相談し、命に別状はなさそうでかつ具体的な痛みや症状がないと医師も診察のしようがないということなので、その場は病院に搬送することなく、個人でかかりつけの医院に行くことになった。お騒がせしてすみませんと言うと、もし具合がまた悪くなったらいつでも救急車を呼んでくださいと言われ、3名は立ち去った。

病院の開く9時前に、たぶんエコーによる診断が不可欠だからということで、毎年健康診断を受けているセンタービルの三井病院に行くことにした。待ち時間がつらいので、妻に病院に行って受付をしてもらい、その時間に車で運んでもらって診察を受けることにする。横になって妻を待っている間、また腹部の苦しさが強くなってきた。もしかして何らかの措置が必要となればまた移動せねばならない。妻に電話すると受付が混んでいてまだ列に並んでいると言う、具合が悪いから救急車を頼もうと告げるとそうだねということで二度目の救急車のコール。

今回は一回目と違って明らかに苦しそうなので、すぐに担架に載せられ救急車へ。搬送されたのは大久保の「東京山手メディカルセンター、担架に乗せられ救急外来の入り口から病院に入った。この時は、最悪左腎臓の切除や膵臓癌が発見されるのかも、と多少の覚悟を決めた。妻曰く、膵臓だったら痛みがひどいからこんな状態では済まないと話してはいたのだが。

救急車で運ばれるという状況は人生で二度目、2011年春の万座スキー場で追突され背中側の肋骨6本を骨折するという事故にあって以来。約12年ぶり。次の救急車が12年後だと82歳、そんなものかもしれない。

病院の担当医師は見るからに若く、胸に初診研修医との名札を胸に付けていた。ベテラン看護婦にパソコン画面の使い方やベッドの操作を聞いていたから大丈夫かなと思ったが、採血や点滴の作業(怖いから目をつぶっていた)を終えると、別の30歳前後の医師が現れほっとした。

改めて経緯を説明し問診の後、エコーとCT撮影、そして血液や尿の検査など。待ち時間はほとんど寝ていた。最後に医師が来て診断結果の報告。少々の異常値はあるが大きな問題は検査では見つからなかったという。そういえば、腹部の思い苦しさについて、他の表現は何かありますか?と尋ねられた。深刻な状況であれば痛みが必ず伴うのかもしれない。

タクシーで帰宅。医者に診てもらって恐れていた状態ではないことが判明し、安心したのかまた症状はこのころ大幅に緩和していて、おかゆを食べた。必要な電話やメールをいくつか書いて、夕刻眠くなってベッドに。7時過ぎにご飯よと起こされたときは、朝と勘違いした。そのぐらい爆睡したようだ。おかげてこんなものを書いているほど今は元気。

今回の医療費、支払額は11,000円ほど、10万円ぐらいかかるのかと思ったが日本の医療費は安いと実感。


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