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2022.09/25 [Sun]
伊藤新道
一夜明けていいお天気の日曜日、朝刊を開くと全面3ページにわたる日曜版の特集が「伊藤新道」だった。数多の北アルプスの登山道でもたぶん最も歩く人の少ない登山道で、行ったことのある人どころか知る人もいないようなそんな道を全面3ページで特集する日経新聞の編集長の見識に拍手。

アルバムを引っ張り出してみると、1976年の8月下旬に4泊5日で歩いていた。大学院の2年生の夏で同行は4年生だったY君。彼も若いころから山に行っていた若いけどベテランだったので、人の行かない伊藤新道を歩くことにした。46年前のことである。
歩いた足跡を赤で記してきた国土地理院の20万分の1の地形図の当該エリア。青で記した部分がその時の足跡で、大町からバスで蔦温泉まで乗る。ここは裏銀座の烏帽子岳への登山口、それを横目にその日は湯俣温泉まで。この道も今はなく、湖底に沈んでいる。翌日いよいよ伊藤新道に入り三俣蓮華岳の避難小屋まで。

ネット上を探すと、山岳/アウトドアライターの高橋庄太郎氏のHPに多数の画像とマップを貼った伊藤新道の詳細が紹介されていた。

ダム完成後の1983年くらいには事実上”廃道”のようになったようだが、実際には「通行不能」ではなく、「通行困難」。そう、正しい情報、技術、体力、季節、天候などがうまくかみ合えば、「行けなくはない」道として残っているのです。そのことを知っているコアな登山者のなかには、いつかは踏破しようと大きな憧れを抱いている人も多いようです。というから、行ったことのある人は本当にわずかなのだろう。1976年の夏も、誰にも会わなかった気がする。
続いてこんな前書きが・・・。
筆者は以前にも伊藤新道を踏破したことがありますが、この記事を作成するにあたり、このとき(2019年10月)は、旧知のガイドの田村茂樹さんといっしょに調査に入りました。伊藤新道を自力で踏破できるのは、よほど山に慣れたエキスパートのみ。しかし、伊藤新道を詳しく知る田村さんのようなガイドにお願いすれば、多くの人が挑戦可能になります。ただし、それでもある程度の経験は必要。必ず事前に自身の体力・技術レベル、経験を上げておくことが大切です。
また、自身のレベル・経験だけではなく、事前の準備も非常に大事です。落石や滑落、転倒が大いに予想される伊藤新道に立ち入る際、忘れてはいけない装備が、なんといってもヘルメット。さらに何度も渡渉を繰り返すコースのため、全身濡れても体温をキープできるようなウェアで身をかため、荷物は防水して持ち運べるようにしておきます。いざというときはロープと組み合わせて使うハーネスも必要です。また、1日で三俣山荘までたどり着けない場合に対応すべく、ツエルトや防寒着などを用意し、地図を見てビバーク適地や水を得る場所にも見当をつけておきましょう。
これを読むととんでもない技術的が要求されるまるで冒険にでも行くような難度の高いルートのようだが、普通の登山スタイルで特殊なものは何も持たずに登った。渡渉で濡れた記憶もない。橋の板がすべて抜け落ち、4本のロープしかない吊り橋を渡らねばならなかった時にはさすがに怖かったが、ヤバいと思ったのはその時ぐらい。、当時の限られた情報から荒れたベテラン向きのコースということは知っていたが、若かったから怖いもの知らずだったのだろう。アルバムを見ていたらいろいろな記憶が蘇った。
伊藤新道の前の8月初旬、大学の同好会の夏合宿でやはり北アルプスに行っていた。アルバムの書き込みに、「山と渓谷」誌の別冊「夏山JOY」に写真を撮られたとあったので、翌年発行の同誌を開く。確かに見たことのある記事と写真が掲載されていた。左下の三人組の左が筆者。確かに若かった。


アルバムを引っ張り出してみると、1976年の8月下旬に4泊5日で歩いていた。大学院の2年生の夏で同行は4年生だったY君。彼も若いころから山に行っていた若いけどベテランだったので、人の行かない伊藤新道を歩くことにした。46年前のことである。
歩いた足跡を赤で記してきた国土地理院の20万分の1の地形図の当該エリア。青で記した部分がその時の足跡で、大町からバスで蔦温泉まで乗る。ここは裏銀座の烏帽子岳への登山口、それを横目にその日は湯俣温泉まで。この道も今はなく、湖底に沈んでいる。翌日いよいよ伊藤新道に入り三俣蓮華岳の避難小屋まで。

ネット上を探すと、山岳/アウトドアライターの高橋庄太郎氏のHPに多数の画像とマップを貼った伊藤新道の詳細が紹介されていた。

ダム完成後の1983年くらいには事実上”廃道”のようになったようだが、実際には「通行不能」ではなく、「通行困難」。そう、正しい情報、技術、体力、季節、天候などがうまくかみ合えば、「行けなくはない」道として残っているのです。そのことを知っているコアな登山者のなかには、いつかは踏破しようと大きな憧れを抱いている人も多いようです。というから、行ったことのある人は本当にわずかなのだろう。1976年の夏も、誰にも会わなかった気がする。
続いてこんな前書きが・・・。
筆者は以前にも伊藤新道を踏破したことがありますが、この記事を作成するにあたり、このとき(2019年10月)は、旧知のガイドの田村茂樹さんといっしょに調査に入りました。伊藤新道を自力で踏破できるのは、よほど山に慣れたエキスパートのみ。しかし、伊藤新道を詳しく知る田村さんのようなガイドにお願いすれば、多くの人が挑戦可能になります。ただし、それでもある程度の経験は必要。必ず事前に自身の体力・技術レベル、経験を上げておくことが大切です。
また、自身のレベル・経験だけではなく、事前の準備も非常に大事です。落石や滑落、転倒が大いに予想される伊藤新道に立ち入る際、忘れてはいけない装備が、なんといってもヘルメット。さらに何度も渡渉を繰り返すコースのため、全身濡れても体温をキープできるようなウェアで身をかため、荷物は防水して持ち運べるようにしておきます。いざというときはロープと組み合わせて使うハーネスも必要です。また、1日で三俣山荘までたどり着けない場合に対応すべく、ツエルトや防寒着などを用意し、地図を見てビバーク適地や水を得る場所にも見当をつけておきましょう。
これを読むととんでもない技術的が要求されるまるで冒険にでも行くような難度の高いルートのようだが、普通の登山スタイルで特殊なものは何も持たずに登った。渡渉で濡れた記憶もない。橋の板がすべて抜け落ち、4本のロープしかない吊り橋を渡らねばならなかった時にはさすがに怖かったが、ヤバいと思ったのはその時ぐらい。、当時の限られた情報から荒れたベテラン向きのコースということは知っていたが、若かったから怖いもの知らずだったのだろう。アルバムを見ていたらいろいろな記憶が蘇った。
伊藤新道の前の8月初旬、大学の同好会の夏合宿でやはり北アルプスに行っていた。アルバムの書き込みに、「山と渓谷」誌の別冊「夏山JOY」に写真を撮られたとあったので、翌年発行の同誌を開く。確かに見たことのある記事と写真が掲載されていた。左下の三人組の左が筆者。確かに若かった。

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