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風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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新宿西口‐昭和35年(1)

先日親の遺品を整理していたら、こんな地図が出てきた。日地出版(株)の発行した「東京都區分詳細圖⑭ 渋谷區」というもので、「最新版」とある。発行は昭和35年、8歳の時の渋谷区の地図だった。父が買い求めたものである。

昭和40年代後半の、麻雀をやりに行っているのか山に行っているのか、たまに授業しているのかよくわからない学生時代、山に行くときに買い求めていたのが日地出版の山地図だった。昔はこんな地図を作っていたんだと知り、それもびっくり。
昭和35年5月 定価70円 IMG.jpg

渋谷区全体の町名や番地の入った普通の地図だが、渋谷区の周辺についても部分的に道路や主要施設はカバーされている。当時の隣町である新宿角筈二丁目、すなわち淀橋浄水場や一丁目の新宿駅も地図に記載されていた。今はバス停の名前として「十二社池の下」が残されているばかりだが、十二社の弁天池も地図にはしっかり記されていた。記憶では熊野神社の前というイメージだったがもっと高い位置にあった。「十二社池の上」というバス停もあり、なるほどバス停は池の上と下に位置していたから「池の下」と「池の上」。

十二社に関して何回か記事を書いているのでこちらをご参照のほど。ほとんどの日本人の知らない江戸の文化の地である→こちら

20221029新宿昭和35年

言うまでもなく現在の高層ビル街は淀橋浄水場の跡地に作られたものである。我が家からは西側の端まで歩いて20分ほどの距離だ。現在の状況と重ねるべく、Yahoo地図から約60年前の新宿と上図とほぼ同じエリアを切り取ってみた。昭和35年の地図の方位は北が真上ではないので、方位も修正して傾けてある。こうして並べてみると懐かしいを通り越して感動的な思いを禁じえない。
20221030新宿現在 (2)

詳しく見るため淀橋浄水場から新宿駅西口付近までを拡大してみた。方位は現在の地図のように北が真上になるように調節。昭和35年の地図には、西から空白となっている東邦生命グランド、東京ガスの2基のガスタンク、文化服装学園の丸い建物など今はなきものがその存在を主張している。残っているのは工学院大と新宿郵便局ぐらい。

一方、よく見るとヨドバシカメラのある西口繁華街の道路の形状は現在と変わらないし、京王線新宿駅と小田急線新宿駅の位置も昔と同じようである。
20221029新宿西口昭和35年

20221030新宿西口現在

そこでさらにクローズアップしてみた。確かに淀橋浄水場の東側の道路は昭和35年と全く同じだった。更なる新発見は西口広場の形状もコクーンタワーの建つ一角の形状も同じ。思えば大規模な都市再開発がない限り、道路の形状は変わらないものらしい。

京王線新宿駅と小田急線新宿駅に違和感を感じるが、現在はそれぞれ京王デパートと小田急デパートが昔の駅の上に建てられだけということがわかる。

それではということで、当時の写真を漁ってみたので明日アップする。

20221103西口拡大図昭和35年

20221103西口拡大図



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