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風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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新宿西口‐昭和35年(2)

四ツ谷駅から北西の徒歩10分ほどにここからは新宿歴史博物館がある。そのHPに大量の新宿の古い画像がアップされている。そこから当時の新宿西口の写真を何枚か拾ってみた。

まず西口全景。これはウェブサイトから拾ったもので、昭和39年(1960年)ごろとあった。カラー写真の様だが、色の不自然さから見て白黒画像に彩色したものとみられる。淀橋浄水場の水抜きが始まったのは昭和39年の1月なので前年末なのかもしれない。明治安田生命ビルも完成していた。高層ビル街が浄水場跡地というのが一目瞭然。
新宿全景(日経新聞S40a

ここからは新宿歴史博物館の画像。まず昭和39年に工学院大学から撮られた淀橋浄水場。文化服装学院の丸いビルと2基のガスタンクが写っている。新宿に行くバスがこれらの脇を通るので、子供心に新宿といえばこの二つのランドマーク。当時は京王線が甲州街道を横切っていて甲州街道に踏切があった。

浄水場、工学院大学よりS39

同じく工学院大学からの西側と北西側の淀橋浄水場。
浄水場1S39 浄水場2S39

水の抜かれた浄水場、昭和40年12月撮影。水を抜かれた貯水池は四囲を壁で囲まれた天然のグランド状態、中学生の時にこの中に入って野球をした。壁があるのでボールが遠くまで転げることがなく、便利だなと思った記憶がある。立ち入り禁止だったのかもしれないが、そんな記憶はないから当時は簡単に中に入れたのであろう。
浄水場S40 (3)


昨日の新宿西口の古地図の拡大図を再掲、気になった京王線と小田急線の新宿駅の位置を確認する。
20221103西口拡大図昭和35年

昭和30年に現在の小田急ハルクの西側方向から撮影された京王線と小田急線の新宿駅。戦後十年目にあたる。地図にあるように広いバス広場があり、その奥に(写真では右半分)平屋建ての駅のホームの屋根が並んでいる。
小田急線京王線新宿駅S30 (2)

昭和36年の両駅が横から撮られた画像。人通りも増え、ずいぶん賑やかになっているのがわかる。この景色、全く記憶にない。西口に行くことが無かったためだろう。線路の向こう側、すなわち東口にはビルがたくさん並んでいる。新宿と言えば東口で、バスも西口ではなく甲州街道で線路を越え伊勢丹側の東口に停まった。
小田急線京王線新宿駅S36

こちらは昭和34年撮影の、現京王デパート側からの西口の商店街、現在の閉店した小田急デパート本館の位置する場所の約60年前の姿である。ちゃんと「小田急のり場」の看板が掲げられていて、小田急線乗り場は現在も60年前のままということがわかる。
小田急線新宿駅S34

現在の小田急線と京王線新宿駅の入り口。確かに両駅、今も昔そのままに隣接していることに初めて気づいた、60年も見ているのに。
DSC_5854 (2) DSC_5856 (2)

正面から撮影された小田急デパート本館の位置する場所の約60年前の姿、昭和30年撮影。
新宿駅西口S30

昭和36年から現小田急デパート、旧小田急ハルク、そしてオリジナルの小田急デパートの建造が始まった、昭和36年撮影。
小田急ハルクS36

昨日記したようにヨドバシカメラが大規模にお店を展開するエリア、道は60年前と全く同じ。しかし残念ながら当時の画像は見つからなかった。大阪万博が開催されたのは1970年、高校2年生の時だった。友人の親戚が大阪にいるとかで万博に行くことになった。その時、初めてカメラを買ってもらった。大のカメラ好きだった友人のI君(蛇足だが元大関琴奨菊の義理の父)が教えてくれたのが新宿のヨドバシカメラ、当時は淀橋写真商会という名前だったようだ。父と探し当てていくと、真暗な居住域のなかに二間ほどの間口のガラス戸の店があって、戸を引くと土間にカメラの箱が山積みにされていた。お店というよりは田舎の問屋の風情だったのが印象的。実際そうだったようだ。ウィキペディアの沿革には、小売りの開始が1971年とあった。ヨドバシカメラというとこの時の印象がいつも蘇る。誰が現在の隆盛を想像することができただろう。

(ウィキペディアより)
1960年(昭和35年)4月 - 東京・渋谷区本町にて藤沢写真商会を創業。
1967年(昭和42年)7月4日 - 東京・新宿区淀橋(現:西新宿)にて株式会社淀橋写真商会を設立。
1971年(昭和46年)2月 - 小売部門を創設。本格的に小売販売開始。


さて場所は変わって、現方南通(旧栄町通り)から甲州街道へ向かっての昭和39年の十二社通りの写真。左に熊野神社、右に十二社弁天池の木立が写っている。バスはここを通って甲州街道を右折した。その角にあったのが東京ガスの2基のガスタンク。
十二社通りS39

弁天池、昭和42年の画像。この池の記憶は以前にも記したが、池に懸かった赤い橋。橋は見えないからこの時にはもう取り壊されていたのだろう。
十二社弁天行池S42
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