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2023.05/29 [Mon]
クルーズ船の旅
土曜日の朝刊にトラピックスが日本一周プラス韓国付というクルーズの旅の全面広告を出していた。行く気は全くないが船の写真に目が止まり、赤枠にあった船のデータを見てびっくり。総トン数が17万トン、乗客定員は5600人にのぼる。「日本発着史上最大級のクルーズ船」という謳い文句も嘘くさく聞こえるが本当だろう。

ノルウェー駐在中にクルーズ船の旅に3回行ったのでクルーズ船の旅には少々親しい。また船の大きさにも敏感になった。
最初が1985年年末のナイルクルーズ。ノルウェーの旅行会社のツアーに参加したもので約一週間ほどの旅程だったが、チャーター便でエジプトまで直行するにもかかわらず、ピラミッドやスフィンクスは観ないという驚きのスケジュールだった。当時のエジプトは国内の治安が悪く、1997年にはハトシェプスト女王葬祭殿の前にて過激派による外国人観光客襲撃事件が起き、日本人10名を含む62名が死亡したほど。チャーター便はハルガダに着き、襲撃を抑止するためだったのだろう、バスやトラックなどがコンボイを組んでナイル川の乗船ポイントへ向かった。船は3000トンほど、河をさかのぼるのだから思えばずいぶん小さな船ではあったが、クルーズ船の旅だった。クルーズ船の旅とはホテルが寝ている間に移動するようなもので、アルコールを除く食事は全てタダ、かつ目的地に上陸するまでは観光船という、日本人の知らない夢のような世界であった。船上パーティーがあるのでドレスコードを満たす服も持参した。
クルーズ船の旅のすばらしさを知ったので翌1996年の春休みにはエーゲ海クルーズに。この時は個人旅行でオスロの旅行会社を通して申し込んだ。この時の船は3万トンぐらい。ロードス島で日本のクルーズ船「飛鳥」と一緒になったが、それが小さく見えるほどだった。クルーズの大きなメリットの一つが交通費がかからない上時間的に効率的なこと。エーゲ海の島々を公共交通機関で移動すると、調べてはいないが、相当の費用がかかりかつ船や飛行機の待ち時間も相当なはず。

4泊5日の航路
1997年の年末にはやはり個人旅行でカリブ海クルーズ。アメリカはクルーズの本場、船も巨体でこの船は当時としては最大級の7万3千トン、乗客定員は2300人ぐらいだった。大きいだけでなく、何よりも異なったのが内装。乗り込むと高さ6‐7階の吹き抜けのロビーになっていて、各階には町のような店や公共スペースが立ち並ぶ。大劇場では毎晩日替わりのエンターテイメントが演じられ、フィフスディメンションとプラターズの公演があったのには驚愕。当然ながらすべての食事やプールサイド等での軽食、飲みものも含め全て無料である。クルーズというと金持ちの旅行のような先入観を持っていたが、客層はほとんどが普通のアメリカ人、部屋によって価格は異なるが概して驚くほど安い。

マイアミから出航し、停泊地はハイチ、ジャマイカ、グランドケイマン、メキシコのトゥルム遺跡、コズメル、そしてマイアミに戻る。このクルーズ、長距離を航行するので海の時間も長い。退屈するのでは?という心配もあるかと思うが、巨大な船内をめぐり海を眺めて過ごす優雅な時間というのも実はクルーズの価値の大きな要素である。
7泊8日の航路
ということで、トラピックスのクルーズに戻る。7万トンの船を知っているだけに、17万トンが如何に豪壮な船か想像に難くない。停泊地そのものにはあまり魅力があるとはいいがたいが、クルーズ船の旅は単なる交通手段やホテルの代替ではなく、死ぬまでに一度はクルーズ船の旅を楽しむことを強くお薦めする。なお、トラピックスからは一銭も貰っていません。
船の内部はこちらの動画にアクセスするよくわかる。非現実的な気がするかもしれないが、見た通りの世界が広がっているはずだ。



ノルウェー駐在中にクルーズ船の旅に3回行ったのでクルーズ船の旅には少々親しい。また船の大きさにも敏感になった。
最初が1985年年末のナイルクルーズ。ノルウェーの旅行会社のツアーに参加したもので約一週間ほどの旅程だったが、チャーター便でエジプトまで直行するにもかかわらず、ピラミッドやスフィンクスは観ないという驚きのスケジュールだった。当時のエジプトは国内の治安が悪く、1997年にはハトシェプスト女王葬祭殿の前にて過激派による外国人観光客襲撃事件が起き、日本人10名を含む62名が死亡したほど。チャーター便はハルガダに着き、襲撃を抑止するためだったのだろう、バスやトラックなどがコンボイを組んでナイル川の乗船ポイントへ向かった。船は3000トンほど、河をさかのぼるのだから思えばずいぶん小さな船ではあったが、クルーズ船の旅だった。クルーズ船の旅とはホテルが寝ている間に移動するようなもので、アルコールを除く食事は全てタダ、かつ目的地に上陸するまでは観光船という、日本人の知らない夢のような世界であった。船上パーティーがあるのでドレスコードを満たす服も持参した。
クルーズ船の旅のすばらしさを知ったので翌1996年の春休みにはエーゲ海クルーズに。この時は個人旅行でオスロの旅行会社を通して申し込んだ。この時の船は3万トンぐらい。ロードス島で日本のクルーズ船「飛鳥」と一緒になったが、それが小さく見えるほどだった。クルーズの大きなメリットの一つが交通費がかからない上時間的に効率的なこと。エーゲ海の島々を公共交通機関で移動すると、調べてはいないが、相当の費用がかかりかつ船や飛行機の待ち時間も相当なはず。

4泊5日の航路

1997年の年末にはやはり個人旅行でカリブ海クルーズ。アメリカはクルーズの本場、船も巨体でこの船は当時としては最大級の7万3千トン、乗客定員は2300人ぐらいだった。大きいだけでなく、何よりも異なったのが内装。乗り込むと高さ6‐7階の吹き抜けのロビーになっていて、各階には町のような店や公共スペースが立ち並ぶ。大劇場では毎晩日替わりのエンターテイメントが演じられ、フィフスディメンションとプラターズの公演があったのには驚愕。当然ながらすべての食事やプールサイド等での軽食、飲みものも含め全て無料である。クルーズというと金持ちの旅行のような先入観を持っていたが、客層はほとんどが普通のアメリカ人、部屋によって価格は異なるが概して驚くほど安い。

マイアミから出航し、停泊地はハイチ、ジャマイカ、グランドケイマン、メキシコのトゥルム遺跡、コズメル、そしてマイアミに戻る。このクルーズ、長距離を航行するので海の時間も長い。退屈するのでは?という心配もあるかと思うが、巨大な船内をめぐり海を眺めて過ごす優雅な時間というのも実はクルーズの価値の大きな要素である。
7泊8日の航路

ということで、トラピックスのクルーズに戻る。7万トンの船を知っているだけに、17万トンが如何に豪壮な船か想像に難くない。停泊地そのものにはあまり魅力があるとはいいがたいが、クルーズ船の旅は単なる交通手段やホテルの代替ではなく、死ぬまでに一度はクルーズ船の旅を楽しむことを強くお薦めする。なお、トラピックスからは一銭も貰っていません。
船の内部はこちらの動画にアクセスするよくわかる。非現実的な気がするかもしれないが、見た通りの世界が広がっているはずだ。

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