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風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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山頭火と青崩峠

先日、パソコンのデフォルトのポータル画面にこんなタイトルのタイルがあった。「SNSの反響は」とのタイトルが付けられているが、世のほとんどの人の耳目を惹くようなトピックではなく多分記事を開いて読んだ人はごく少ないかと思う。その数少ない一人が私。昨年廃刊となった俳句の結社誌「季」に長年、「捨てて拾われ青い山」という山頭火の日記から緻密に山頭火の生涯を追った書き物を連載していたが、山頭火が青崩峠付近を歩いていたはずなのでそれを確認するためだった。

「人類が勝った」最難関の青崩峠トンネルがついに貫通! “敗退”からのリベンジにSNSの反響は」

記事は「長野・静岡の県境で建設が進められてきた三遠南信道「青崩峠トンネル」(仮称)が、2023年5月26日に貫通しました」ではじまる。
青崩峠トンネルは、未開通区間のうち長野・静岡の県境に位置します。延長は4998mです。すぐ近くを大断層の中央構造線が走っていることから、断層運動の影響を受け続けている周囲の地盤は非常に脆く、過去にルート変更を余儀なくされた経緯があります。(中略)SNSでは「土木技術のすごさに感動」「とうとう人類が青崩峠に勝った」「ついに日本のトンネル技術が勝利したね」といった喜びや、「工事関係者の皆様、これからの工事もご安全に」と現場の人たちを労う声も多くありました。
貫通した瞬間の画像 20230609トンネル

どこの話か分からないと思うので、こんな所。とんでもない山の中である。
20230609青崩峠1

天竜川を堰き止めたのが佐久間ダム(竣工1956年)。それまでは飯田線は天竜川に沿っては走っていた。天竜川に並行して浜松から長野県の上田まで走っているのが秋葉街道とも呼ばれている国道152号線、青崩峠はその途中の長野と静岡の県境に位置する。飯田線が一部不自然に国道152号線に沿っている部分があるのは、ダムによる水没を避けるための迂回路線だから。赤丸をつけた水窪と平岡は、冒頭に記した書き物の中に出てくる地名である。
20230609青崩峠2

これは連載を掲載していた「季」の当該号である2022年の九・十月号。
20230609季2022年九十月号

せっかく連載記事の著者がブログを書いているのだから、関連部分を丸ごと載せておく。執筆に当たっては日記の記述を元にルートを地図で確認、関連情報も細かく収集する。わかりやすいよう今回の青崩峠トンネル付近に関する記述部分を青字で示した。青崩峠の文字はないが地図で確認していたので記憶に残っていた。

‐「捨てて拾われ青い山」第42回より
山頭火が井上井月の墓参を初めて志したのは昭和九年(一九三四年)の四月、五年前のことであった。この時は名古屋から妻籠を経由して伊那谷へと向かった。関西からは最短の合理的なルートである。今回は浜松から天竜川沿いに北上して伊那を目指すという奇異なルートを選んでいる。経路選択の背景は語られていないが、後がないという切迫感に加え、前回の嫌な経験を忘れたいという心理的な動機があったのかもしれない。昭和十四年の四月三十日、山頭火は現在の国道三六二号線を北上、伊那への道を歩み始めた。光明山で参拝した後、「ここに泊まりたくなつたので、秋葉山麓のN屋に泊まつた、まつたくの山の宿、閑静此上なしである、よい一夜であつた」。この日は十六句を記している。
   水のあかるくながれてくれば河鹿なく
   道しるべ立たせたまふは南無地蔵尊
   山はしぐれて濡れるもよかろ

翌日は秋葉山へ。全国に秋葉神社は四百社ほどあり、その総本社が山頂にある秋葉山本宮秋葉神社。江戸時代には全国に秋葉講が結成され街道は参詣者で賑わったとか。参拝を終え西側の天竜川側に下山し、この日は国道一五二号線を北上して西渡まで。「三味線が鳴りラヂオが叫ぶ!」と記しており当時は賑やかだったようだ。この日の日記には二十六句を記載。井月の墓を訪ねるという長年の願いが叶うとあって気持ちが昂っていたのか、まるで吟行時の句帳を覗き見るようである。
  ゆつくりのぼる馬酔木まつしろ
  切株に腰かけて遠い遠い昔
  石に腰かけると墓であつた
  水みな滝となり天竜へ音たかく
  水音けふもひとり旅行く

歩き始めて三日目、この日は「行けるところまで歩くつもりで水窪川にそうて行く」と記して国道一五二号線をさらに北上。
国道一五二号線は長野県の上田から浜松までを南北に結ぶ長大な国道で、現在も車両通行不可能な区間がある数少ない分断国道。今も分断区間は完全な山道である。当時は秋葉街道と呼ばれ高遠すなわち伊那を通過していた。現在も車道を作ることができないほどであるから当時も状況は同じ、「行けるところまで」という記述にはそんな状況が反映されている。
十二時近くに水窪町に着き、「酒屋の主人からこれからは難路であることを教へられ、逆に電鉄のある方、天竜本流へ戻ることにした」。二里に五時間を費やしたとあるから峠越えも難路だったようだ。現在は佐久間湖湖底に沈んでいる白神駅に着いたのは五時過ぎ、電車で最も近くて宿屋がある満島駅(現平岡駅)に行き泊まった。
「一風呂浴びて一杯ひつかける気持ちはまさに千両万両! 障子をあけたら、山が月が、瀬音が、良い月夜になつた」とご満悦で、この日は三十三句の大量生産。(以下略)
  水をひいてこんなところにも一軒家
  はじめて人に逢ふ山のしぐれて
  山ふかくして白い花
  山が月が水音をちこち


おまけとして伊那市にある井上井月の墓とその墓近傍の景色。
202207墓マップ 202207井上井月の墓02 (2)
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