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風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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猛暑の行田観光(フルバージョン)の忍城追記

先日の「忍城」に関する追記。
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画像で紹介される「忍城」、実はこれ、再現されたものとはいえ天守閣ではない。「忍城鳥瞰図」や文献などを元に鉄筋コンクリート構造によって外観復興された行田市郷土博物館の一部、しかも忍城には天守閣はもともと存在しなかったようで、「御三階櫓」と呼ばれる櫓だった。さらにウィキペディアによれば位置や規模は史実とは異なっているそうだ。内部は小田原城のように展望室や行田の歴史を写真や資料で紹介する展示室となっている。素人目にはお城の天守閣ように見えるが、確かによく見れば天守閣ではなく櫓だということがわかる。だから公式名称は「忍城跡」となっていた。

それはそうとして、「忍城」、石田三成が水攻めを企図したことで有名な水城、当時は水の中に浮かんだ城であった。赤丸が「御三階櫓」のロケーション。
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博物館入口 20230730-41.jpg

この博物館、古代蓮の里の入場券があると2割引きとなり、入場料は160円(博物館に入らないと「御三階櫓」に登れない)、しかし入場料の割に興味深い展示物がいくつかあってお買い得。その一つが行田市の酒巻古墳群から発掘された埴輪の数々。皆保存状態が良く、右手前の大きな馬型埴輪は鞍に旗をなびかせていて、これは日本でもここだけだとか。
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もう一つへーだったのが万葉集の歌のの紹介。残念ながら写真を撮らなかったが、万葉集に「さいたま」もしくは「さきたま」と詠っているいる歌が4首あるそうだ。万葉集は漢字で書かれているので音(おん)がわかる。ネットで調べると二首を見つけた。

「埼玉の小埼の沼に鴨そ翼(はね)きる 己が尾に降り置ける霜を掃ふとにあらし」(巻9・一七四四)
「埼玉の津に居る船の風を疾(いた)み 綱は絶ゆとも言な絶えそね」(巻14・三三八〇)


古墳の存在といい、万葉集採録の歌といい、日本の文化は西日本中心で東日本は野蛮人の住む地域と思っていたが、少なくとも四五世紀ごろには関西に伍する文化が開けていたと知り驚いた。

博物館中庭から 20230730-44.jpg

忍城跡を出て娘が帰るための熊谷駅に向かう途中の歩道橋に「行田市は埼玉県発祥の地」なる文字が書かれていた。なるほど万葉集の昔から埼玉県では行田市あたりがこのエリアの中心、さきほど訪れた古墳群も「さきたま古墳公園」であった。後日知ったのだが、「さきたま古墳公園」内に「埼玉県名発祥之碑」があったらしい。
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