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2023.09/22 [Fri]
関東大震災の実態
関東大震災に関する記事をアップしていなかったことを思い出したので、若干間が抜けた感は否めないが遅ればせながら記載する。
今年は関東大震災から100年目、ちょうど良い節目であったためだろう、9月の初めにNHKが二夜連続の特集を放映していた。過去の資料をすべて漁った上、古い画像や動画を着色加工等で分析するなど相当の力作であった。関東大震災、名前とイメージは知っていたが、知らないことも多く興味深く拝見。後日改めて諸資料を検索、それを記事にまとめたものである。

関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒に発生した「関東大地震」によって南関東および隣接地で大きな被害をもたらした地震災害、というのが正確な定義。震災名と地震名は異なり、東日本大震災は「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」というのが地震名だそうだ。
阪神・淡路大震災を含めて近年の大震災の概要一覧。
まず地震の規模、すなわちエネルギーの違いを見ると、関東大震災の地震はマグニチュード7.9で東日本大震災の9.0に較べ少し数字の上では小さい。しかしマグニチュードが1違うとエネルギーレベルは約32倍違うので、関東大震災は東日本大震災に較べ約40-50分の1のエネルギーの地震で引き起こされたものであった。だから関東大震災はたいした地震ではなかった、というわけではなく東日本大震災が稀有な巨大地震であったということである。
次に被害、首都圏とあって犠牲者は推定10万5千人、しかも死因の9割は焼死者であった。これが他の大震災とのおおきな違い。そして経済的被害規模、時代が違うので金額で比較できないのでGDP比で見ると関東大震災は約37%、東日本大震災が約3%であるから桁違いの大災害であったことがわかる。

こちらは震度分布、東京の地震のようなイメージを持っていたが、実際に揺れもしくは震度が大きかったのは神奈川県南部から千葉県南部であった。逆に東京の震度は相対的には大きくなかった。

ゆえに震度分布から想定されるように震央は西部で、国立天文台は神奈川県足柄上郡開成町としている。これも初めて知った。開成と言われても知らない人がほとんどであろうが、小田急線に開成駅があり、鶴巻句会の吟行で訪れたことがある。位置的には新松田の一駅南側。まさかここでも行ったことのある場所が現れて驚いた。

さて、関東大震災と言えば東京東部の大火災。NHKでは当時の画像を大量に紹介し実態を克明にドキュメントとして番組を構成していた。

当時の東京下町の家並み。

見ての通りの東京の焼失状況、東京東部は壊滅状態になった。

震災4時間目の午後の4時ごろは、まだ火はそれほど広がっていなかった。

その火を逃れて人々は逃げ惑う。被服廠跡地は建物もなかったせいで格好の避難場所となった。

まだ空き地状態だった被服廠跡に周辺の人たちが家から布団や家財道具を持ち出し、続々と避難してきたのです。ちょうど昼時であったことと、台風の余波で強風が吹いていたこともあり、各所で火災が発生しました。やがてこの被服廠跡にも強風にあおられた炎が四方から迫り、その火の粉が持ち込まれた家財道具などに燃え移りました。激しい炎は巨大な炎の竜巻、火災旋風を巻き起こし、一気に人々を飲み込みました。この地だけで、3万8千人もの尊い命が失われました。

古地図から
現在の被服廠跡(赤)。北側に慰霊と伝承の公園として都立横網町公園がある。両国付近を何度も訪れているにもかかわら知らなかった。

火災だけでなく、相模湾沿岸では大きな津波もあった。熱海や大島では10メートルを超えていた。


今年は関東大震災から100年目、ちょうど良い節目であったためだろう、9月の初めにNHKが二夜連続の特集を放映していた。過去の資料をすべて漁った上、古い画像や動画を着色加工等で分析するなど相当の力作であった。関東大震災、名前とイメージは知っていたが、知らないことも多く興味深く拝見。後日改めて諸資料を検索、それを記事にまとめたものである。

関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒に発生した「関東大地震」によって南関東および隣接地で大きな被害をもたらした地震災害、というのが正確な定義。震災名と地震名は異なり、東日本大震災は「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」というのが地震名だそうだ。
阪神・淡路大震災を含めて近年の大震災の概要一覧。
まず地震の規模、すなわちエネルギーの違いを見ると、関東大震災の地震はマグニチュード7.9で東日本大震災の9.0に較べ少し数字の上では小さい。しかしマグニチュードが1違うとエネルギーレベルは約32倍違うので、関東大震災は東日本大震災に較べ約40-50分の1のエネルギーの地震で引き起こされたものであった。だから関東大震災はたいした地震ではなかった、というわけではなく東日本大震災が稀有な巨大地震であったということである。
次に被害、首都圏とあって犠牲者は推定10万5千人、しかも死因の9割は焼死者であった。これが他の大震災とのおおきな違い。そして経済的被害規模、時代が違うので金額で比較できないのでGDP比で見ると関東大震災は約37%、東日本大震災が約3%であるから桁違いの大災害であったことがわかる。

こちらは震度分布、東京の地震のようなイメージを持っていたが、実際に揺れもしくは震度が大きかったのは神奈川県南部から千葉県南部であった。逆に東京の震度は相対的には大きくなかった。

ゆえに震度分布から想定されるように震央は西部で、国立天文台は神奈川県足柄上郡開成町としている。これも初めて知った。開成と言われても知らない人がほとんどであろうが、小田急線に開成駅があり、鶴巻句会の吟行で訪れたことがある。位置的には新松田の一駅南側。まさかここでも行ったことのある場所が現れて驚いた。

さて、関東大震災と言えば東京東部の大火災。NHKでは当時の画像を大量に紹介し実態を克明にドキュメントとして番組を構成していた。

当時の東京下町の家並み。

見ての通りの東京の焼失状況、東京東部は壊滅状態になった。

震災4時間目の午後の4時ごろは、まだ火はそれほど広がっていなかった。

その火を逃れて人々は逃げ惑う。被服廠跡地は建物もなかったせいで格好の避難場所となった。

まだ空き地状態だった被服廠跡に周辺の人たちが家から布団や家財道具を持ち出し、続々と避難してきたのです。ちょうど昼時であったことと、台風の余波で強風が吹いていたこともあり、各所で火災が発生しました。やがてこの被服廠跡にも強風にあおられた炎が四方から迫り、その火の粉が持ち込まれた家財道具などに燃え移りました。激しい炎は巨大な炎の竜巻、火災旋風を巻き起こし、一気に人々を飲み込みました。この地だけで、3万8千人もの尊い命が失われました。

古地図から

現在の被服廠跡(赤)。北側に慰霊と伝承の公園として都立横網町公園がある。両国付近を何度も訪れているにもかかわら知らなかった。

火災だけでなく、相模湾沿岸では大きな津波もあった。熱海や大島では10メートルを超えていた。


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