fc2ブログ

風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

Entries

共感ということ

今日は鶴巻句会。前回の九月の句会では師匠を含む7名の出席者全員の特選を得るという偉業を達成した(総句数60句)。全員に各自7句選のうち一番いいと評価していただいたことになる。このようなことは滅多に生じることではないことを自分でもわかっているので力を入れることはないが、それでも今回は10名全員出席で師匠を含む4名の特選を得た。

さて、9月の句会の鶴巻句会の特選句3句を「河」10月初めの中央支部の句会に投句してみた。出席者は一般16名でプラス主宰、副主宰に選者1名の計19名。投句数は多数の欠席投句を含め126句。16名の互選は各自7句(内1句は特選)と鶴巻と同じ。

互選の結果は2名から選をいただいただけだった。14人にとっては8位以下の評価しかできないということを意味する。句数が約2倍あり、いい句が多かったからだろうということかもしれない。しかし投句した3句に対して主宰が特選と佳作、選者が秀逸、副主宰が佳作に採っているのでそれほどお粗末な句ではないと思われる。その主宰が特選に採り、鶴巻句会でも5名の特選を集めた句がこちら。
  書閉づれば独りと思ふ夜長かな

春樹主宰には講評で、「私は寝室で本を閉じ、妻子に「おやすみ」の声をかけてから寝る。眠り落ちるまでの間、掲句のように孤独を感じることがある」との共感を示していただいた。鶴巻句会では特選に採った理由を各自述べるが、皆同様の体験に思うところがあり共感したため、というものだった。

言い換えると出席者の大半にとっては、なんら共感するものがなかった、もしくはもっと共感した句があった、ということである。

「共感」とは共に感じること、同じ思いを分けあう合うこととも言える。日本には多数の結社があるが、結社もしくは句会によって、参加者の感じるものがこれほど異なることがあからさまに見えてしまったことに愕然とした。「句友」という言葉がある。同じ結社に属する人たちを意味するが、なんとなくいやらしさを感じるので自分で使うことはない。

俳句をやる人は少なくないとはいえ日本人全体から見ればわずか、そんな井戸の底のような世界で多数の結社がひしめいている。かつ一つの結社内でもこれほど感性が異なると、投句した句が採られた取られなかったで一喜一憂することに、むしろみじめさを覚えるぐらいの方が精神的には健全なのかもしれない。

昨年末の俳句結社誌「季」に、長年にわたり「捨てて拾われ青い山」という連載物を掲載していた。山頭火の生涯を彼の書き残した日記をもとに書き進めたもので、彼の日記を全て読み通したことになる。晩年にこんな記述があった。「句はまづいがかへりみてやましい句は作らなかつた」。そうだと思う。作りたいから作っただけ。確かに駄句も多い。所詮、俳句とはそんなものかと思う。






関連記事
スポンサーサイト



*Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

プロフィール

時の旅人

Author:時の旅人
辰年の獅子座のO型

最新記事

カレンダー

01 | 2024/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 - -

月別アーカイブ

右サイドメニュー

検索フォーム

最新トラックバック