fc2ブログ

風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

Entries

不忍池の蓮

風邪の諸症状は残ってはいるものの熱は平熱に近い36度前後とあって日常生活において差しさわりはない。だだし、病み上がりなので自粛して一日家で過ごす。いい機会だったので居室の机まわりを半日かけてゆるゆると片付けた。たぶん一年ぶりぐらいかもしれない。

昼食を取りながらテレビを観る。佐賀県のレンコン農家の話だった。知らなかったが佐賀県白石平野はレンコンの産地として有名だそうだ。レンコンには早生と晩生があり、早生は6-8月に採れシャキシャキ感、晩生は9月以降に採れモチモチ感が特徴だとか、そんなこと、妻も知らなかったという。

レンコンは蓮の花の地下茎、番組では触れなかったがレンコン畑の花の時期はかなり壮大なものかと思う。
佐賀レンコン


そこで思い出すのが不忍池の蓮。今年の8月の末に何年か振りで訪れ、記憶に全くなかったのでハスの大群落に驚いた。その時の画像を以下に再掲する。
20230830-5.jpg 20230830-6.jpg

不忍池というと葦とボート、というイメージでいたのだが、単なる勘違いだったらしい。最後に訪れたのがいつなのか思い出せないぐらい昔でかつ蓮の時期ではなかったためだろう。地図を見ると、不忍池は一つの池ではなく、「蓮池」「ボート池」「鵜の池」の三つに堤によって明確に分かれていて、弁天堂と「蓮池」と「ボート池」の位置関係が曖昧になっていたようだ。
上野公園マップ

それにしても夏見た蓮の大群落があまりに印象的だったので、蓮が増えたのは近年のことに違いないと思って証拠を探した。

こちらは2010年撮影の画像。なんと13年前でも現在とあまり変わらない。
不忍池2010年

ぐっと戻って1974年撮影の白黒画像。時期は冬で破れ蓮の葉は全て落ち、枯れた蓮の茎が無数に池に立っている。夏には池いっぱいに蓮が咲いたことだろう。少なくとも50年前には蓮池は蓮でいっぱいに埋っていたことを知った。
不忍池1974年

さらに遡って明治時代の絵葉書の絵。さすがに湖面が顔をのぞかせているがすでに蓮の名所だったようだ。
不忍池明治

そして江戸時代。一立齋広重とあるが安藤広重のこと、江戸末期のころと思われる。弁天堂の島はあるがまだ蓮はない。不忍池の蓮の記憶がないのは、脳の奥にこの時代の記憶が生きていた証拠なのかもしれない、なんてことはないよな。
不忍池一立齋広重
関連記事
スポンサーサイト



*Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

プロフィール

時の旅人

Author:時の旅人
辰年の獅子座のO型

最新記事

カレンダー

01 | 2024/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 - -

月別アーカイブ

右サイドメニュー

検索フォーム

最新トラックバック