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2023.11/20 [Mon]
私の履歴書(11):アメリカ編シェールガス
この調子で本格的に過去を振り返るとかなりの時間がかかりそうなので、ここまで入社してからの十年弱の期間について記したことから、キセルみたいに退社までの約十年間について記すことにした。だから「私の履歴書(11)」。バンコクから帰任した1987年から2000年半ばまでの約15年間については、ノルウェー駐在を含め公私共にいろいろと書くべきことはありそうだが、いつか追って少しずつ死ぬまでに書き足すことにしようと思う。
ということで2000年代半ばから。年齢でみると50代の話である。
このころから退職する2013年まで、会社ではアメリカ・カナダの担当であった。目的は新規プロジェクトの開拓である。雲を掴むような話のようだが、この業界では権益の売却や共同事業への勧誘などの話は頻繁に会社に持ち込まれる。仕事はこれら全てに目を通し事前資料から事業の概要を掌握、価値のありそうな案件に対しては詳細な資料を要求して精査、更に有望と見込まれれば現地調査というものである。今の言葉でいえば、技術的デューデリジェンスである。具体的には石油ガス油田の買収だけでなく、オイルサンドプロジェクトへの参画や、炭酸ガスEORプロジェクト、そしてシェールガスや探鉱プロジェクトまで多岐にわたり、アメリカとカナダへの出張は数えきれないほどの回数にのぼる。
個々に書き始めると大変なので2件だけ記す。
一つがシェールガスプロジェクトへの参画。
2006年に、ある巨大石油会社からアメリカとカナダに保有する全権益に対する参画の話が持ち掛けられた。技術的見地からの興味を示したこととこのディールの責任者と気があったせいだろう、全資産の視察をすることに話は進んでしまった。石油会社側はプライベートジェットを用意し、アメリカの4つの事業所ならびに代表的な油ガス田の現場視察をして回るという一週間以上の長期ビジネストリップ。会社としては腰が引けていたので、参加したのは私が団長格であと4-5名という状況、石油会社側には申し訳ない気持ちだったが、各事業所は最高のもてなしを用意していた。ニューオリンズでは白いロングリムジンを用意していて夜の街を回った。
その中の数あるプロジェクトの一つとしてシェールガス田が含まれていた。これがシェールガスとの初めての出会いである。が、生産量も小さく魅力を感じるものではなかった。この会社とのディール、直接タッチはしていないが予想通りみおくりになった。プロジェクトが玉石混淆で、また当社としては規模が大きすぎて当社とは最初からミスマッチであった。この石油会社、その後他社に買収された。たぶん、アメリカの同業に買収されるより、日本人との共同事業を期待していたのだろう。
話がそれたが、当時はシェールガスという技術の勃興期、その後も数多のシェールガス事業への参画を期待するオファーがあったが、いずれにもノーの評価しかできなかった。この間、多数のシェールプロジェクトに接することができたことからシェールガスに対する知識と経験が培われたのだと思う。シェールガス革命という言葉が使われ出したのはこの後だった気がする。日本で実務的に一番先にアメリカのシェールガスに注目したのは自分だと思う。
2009年11月、APCという会社のペンシルバニア州のシェールガスプロジェクトへの参画機会の説明会がヒューストンで開催され、当社と三井物産合同の代表団で参加した。この時点では水平坑井が30本掘削、生産しているのは12坑に過ぎず、また生産量はわずか日産20-30MMCFというレベルであった。マーセラスという名のプロジェクトで鉱区の差し渡しが320キロという巨大プロジェクトである。
アメリカ東岸の赤丸がマーセラスガス田。ペンシルベニア州は北にニューヨーク州と接している。

マーセラスガス田視察時の模様。
プライベートジェット
資料を持ち帰り詳細な技術評価を実施した。これまでのシェールガスの生産挙動の常識を覆すような優秀な生産井がいくつもあり目を引いた。プロジェクトは生産量を5年で100倍にするというプロジェクトであった。ディールはそのための開発費14億ドルを肩代わりするといくらかの利権をもらえるというもの。想定したようにガスは出るのか、開発は進むのか、井戸コストは、等々不確実性は大きい。検討を重ねた結果、オペレーターが想定するよりもガスは出るとの結論となった。
2010年1月、物産を交えての社内説明会での資料の結論、稚拙な図ではあるが「モデルケースを下回る可能性は考えにくい」と明記した。石油開発というハイリスクの事業でリスクは少ないと断言できるプロジェクトは少ない、というかリスクの少ないプロジェクトしか推進してこなかった実績が認められていたのだろう。これをもって、買収金額1300憶円という巨額のプロジェクトが一回のプレゼンでゴーとなった。日本で最初にして最大のシェールガスプロジェクトの権益取得であった。金額を明記するのは日経新聞で大きく報道されたためで、守秘義務違反ではない。念のため。

2014年時点で、日産量は2000MMCFを軽く超え、当初の想定より3割ぐらい上回る。この2000MMCFDという量、東京ガスの2013年の家庭用販売ガス見通し量が平均日産335MMCFなのでその6倍に当たる。信じられないかもしれないが、実は巨大なプロジェクトである。
せっかくなのでシェールガスの生産フィールドについてイメージだけ紹介しておく。シェールガスはシェールとは頁岩、黒い硬い石を思えばよい。これに井戸を掘って生産するのだが、シェールに掘り込んでもガスはほとんど出ない。そのためシェールの中に水平に長大な井戸を掘る。これを水平坑井という。それだけでも垂直に井戸を掘るよりも井戸に流れこむ量は理屈では数千倍になるが、それでも硬い石なので量的にはわずか。ゆえにフラクチャリングといって水平坑井に高圧の水を圧入してシェールに割れ目を作る。下図がその水平坑井の図。この井戸では水平部分は1.2キロメートルほどである。

実際のガス田ではこの水平坑井を無数に掘削して生産する。下図はマーセラスガス田の一部の水平坑井掘削計画図。黒のフォークのような形の1本1本が水平坑井で、一ヶ所から6坑掘削する計画。開発費の1300憶円というのはこれらの水平坑井コストと思ってよい。

退職後の2014年10月にこんな記事が日経新聞に掲載された。今回記事をまとめるにあたって過去に書いたブログ記事を検索した時に見つけたもの。「シェール革命目利きで先行」という見出しはけっこうだが、記事の記述は三井物産が主語のような書き方。小見出しの「米で輸出計画始動」が主文であり、新聞ももヨイショをしたいし物産広報も絶賛丸呑みなのもわかるが、誰のおかげだと思ってるの?とちょっと一言いいたい気分もある。
2014年10月のブログ記事には「今はもうまるで他人事で、良かったね、程度の感慨しかなくなった」と大人の感想を記していた。会社を辞めて一年を過ぎたころのこと、すでに何かと満足していたのだろう。

ということで2000年代半ばから。年齢でみると50代の話である。
このころから退職する2013年まで、会社ではアメリカ・カナダの担当であった。目的は新規プロジェクトの開拓である。雲を掴むような話のようだが、この業界では権益の売却や共同事業への勧誘などの話は頻繁に会社に持ち込まれる。仕事はこれら全てに目を通し事前資料から事業の概要を掌握、価値のありそうな案件に対しては詳細な資料を要求して精査、更に有望と見込まれれば現地調査というものである。今の言葉でいえば、技術的デューデリジェンスである。具体的には石油ガス油田の買収だけでなく、オイルサンドプロジェクトへの参画や、炭酸ガスEORプロジェクト、そしてシェールガスや探鉱プロジェクトまで多岐にわたり、アメリカとカナダへの出張は数えきれないほどの回数にのぼる。
個々に書き始めると大変なので2件だけ記す。
一つがシェールガスプロジェクトへの参画。
2006年に、ある巨大石油会社からアメリカとカナダに保有する全権益に対する参画の話が持ち掛けられた。技術的見地からの興味を示したこととこのディールの責任者と気があったせいだろう、全資産の視察をすることに話は進んでしまった。石油会社側はプライベートジェットを用意し、アメリカの4つの事業所ならびに代表的な油ガス田の現場視察をして回るという一週間以上の長期ビジネストリップ。会社としては腰が引けていたので、参加したのは私が団長格であと4-5名という状況、石油会社側には申し訳ない気持ちだったが、各事業所は最高のもてなしを用意していた。ニューオリンズでは白いロングリムジンを用意していて夜の街を回った。
その中の数あるプロジェクトの一つとしてシェールガス田が含まれていた。これがシェールガスとの初めての出会いである。が、生産量も小さく魅力を感じるものではなかった。この会社とのディール、直接タッチはしていないが予想通りみおくりになった。プロジェクトが玉石混淆で、また当社としては規模が大きすぎて当社とは最初からミスマッチであった。この石油会社、その後他社に買収された。たぶん、アメリカの同業に買収されるより、日本人との共同事業を期待していたのだろう。
話がそれたが、当時はシェールガスという技術の勃興期、その後も数多のシェールガス事業への参画を期待するオファーがあったが、いずれにもノーの評価しかできなかった。この間、多数のシェールプロジェクトに接することができたことからシェールガスに対する知識と経験が培われたのだと思う。シェールガス革命という言葉が使われ出したのはこの後だった気がする。日本で実務的に一番先にアメリカのシェールガスに注目したのは自分だと思う。
2009年11月、APCという会社のペンシルバニア州のシェールガスプロジェクトへの参画機会の説明会がヒューストンで開催され、当社と三井物産合同の代表団で参加した。この時点では水平坑井が30本掘削、生産しているのは12坑に過ぎず、また生産量はわずか日産20-30MMCFというレベルであった。マーセラスという名のプロジェクトで鉱区の差し渡しが320キロという巨大プロジェクトである。
アメリカ東岸の赤丸がマーセラスガス田。ペンシルベニア州は北にニューヨーク州と接している。

マーセラスガス田視察時の模様。
プライベートジェット

資料を持ち帰り詳細な技術評価を実施した。これまでのシェールガスの生産挙動の常識を覆すような優秀な生産井がいくつもあり目を引いた。プロジェクトは生産量を5年で100倍にするというプロジェクトであった。ディールはそのための開発費14億ドルを肩代わりするといくらかの利権をもらえるというもの。想定したようにガスは出るのか、開発は進むのか、井戸コストは、等々不確実性は大きい。検討を重ねた結果、オペレーターが想定するよりもガスは出るとの結論となった。
2010年1月、物産を交えての社内説明会での資料の結論、稚拙な図ではあるが「モデルケースを下回る可能性は考えにくい」と明記した。石油開発というハイリスクの事業でリスクは少ないと断言できるプロジェクトは少ない、というかリスクの少ないプロジェクトしか推進してこなかった実績が認められていたのだろう。これをもって、買収金額1300憶円という巨額のプロジェクトが一回のプレゼンでゴーとなった。日本で最初にして最大のシェールガスプロジェクトの権益取得であった。金額を明記するのは日経新聞で大きく報道されたためで、守秘義務違反ではない。念のため。

2014年時点で、日産量は2000MMCFを軽く超え、当初の想定より3割ぐらい上回る。この2000MMCFDという量、東京ガスの2013年の家庭用販売ガス見通し量が平均日産335MMCFなのでその6倍に当たる。信じられないかもしれないが、実は巨大なプロジェクトである。
せっかくなのでシェールガスの生産フィールドについてイメージだけ紹介しておく。シェールガスはシェールとは頁岩、黒い硬い石を思えばよい。これに井戸を掘って生産するのだが、シェールに掘り込んでもガスはほとんど出ない。そのためシェールの中に水平に長大な井戸を掘る。これを水平坑井という。それだけでも垂直に井戸を掘るよりも井戸に流れこむ量は理屈では数千倍になるが、それでも硬い石なので量的にはわずか。ゆえにフラクチャリングといって水平坑井に高圧の水を圧入してシェールに割れ目を作る。下図がその水平坑井の図。この井戸では水平部分は1.2キロメートルほどである。

実際のガス田ではこの水平坑井を無数に掘削して生産する。下図はマーセラスガス田の一部の水平坑井掘削計画図。黒のフォークのような形の1本1本が水平坑井で、一ヶ所から6坑掘削する計画。開発費の1300憶円というのはこれらの水平坑井コストと思ってよい。

退職後の2014年10月にこんな記事が日経新聞に掲載された。今回記事をまとめるにあたって過去に書いたブログ記事を検索した時に見つけたもの。「シェール革命目利きで先行」という見出しはけっこうだが、記事の記述は三井物産が主語のような書き方。小見出しの「米で輸出計画始動」が主文であり、新聞ももヨイショをしたいし物産広報も絶賛丸呑みなのもわかるが、誰のおかげだと思ってるの?とちょっと一言いいたい気分もある。
2014年10月のブログ記事には「今はもうまるで他人事で、良かったね、程度の感慨しかなくなった」と大人の感想を記していた。会社を辞めて一年を過ぎたころのこと、すでに何かと満足していたのだろう。

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