風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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横須賀吟行

無名の会の吟行。初参加。この吟行は出句数が15句と多いので敬遠してきたが、ある状況で参加することになった。7:53発湘南新宿ラインに乗り、9:16横須賀着と意外と横須賀は近い。
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横須賀駅からヴェルニー公園、ドブ板通りを吟行。
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安針駅から三浦按針夫妻墓、塚山公園へ。三浦按針とは家康の時代に漂着したイギリス人で、家康は「外国使節との対面や外交交渉に際して通訳を任せたり、助言を求めたりした。またこの時期に、幾何学や数学、航海術などの知識を家康以下の側近に授けたとも言われている。帰国を諦めつつあったアダムスは、1602年頃に日本橋大伝馬町の名主で家康の御用商人でもあった馬込勘解由の娘、お雪(マリア)と結婚した。彼女との間には、息子ジョゼフと娘スザンナが生まれている。やがて江戸湾に係留されていたリーフデ号が沈没すると、船大工としての経験を買われて、西洋式の帆船を建造することを要請される。永らく造船の現場から遠ざかっていたアダムスは、当初は固辞したものの受け入れざるを得なくなり、伊東に日本で初めての造船ドックを設けて80tの帆船を建造した。これが1604年(慶長9年)に完成すると、気をよくした家康は大型船の建造を指示、1607年には120tの船舶を完成させる」(Wiki)だそうだ。

しかる後、「この功績を賞した家康は、さらなる慰留の意味もあってアダムスを250石取りの旗本に取り立て、帯刀を許したのみならず相模国逸見(へみ)に采地も与えた」。この墓が按針塚。塚山公園にある。
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昼食の弁当を食べたのち、句会会場のある西逸見へ下る。主宰の知り合いの関係で、この地の栗田工務店の事務所を貸してもらえるという。栗田氏、この地に住み四代目という名士で、祖父は初代横須賀市の助役だったとか。場所だけでなく、句会終了後、非売品で台湾の国家元首級だけが入手で白酒をふるまってくれたりと、たいへんお世話になった。句会の部屋には、スキージャンプの葛西のサインも額装されていたり、となかなかゴージャスな暮らしぶり。
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句会にはみなと句会の屁師匠も出席、逸見の例のお店で二次会となり、長くて楽しい一日となった。
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