風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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空っぽの世界

ニュートリノの質量発見に対してノーベル物理学賞が梶田氏に授与されるというニュースで今朝はお祭り騒ぎ、秋晴れの空のごとくおめでたいことこの上ない。ニュートリノ振動の発見は10年以上も前の話で、当時、科学雑誌は特集を組んできちんと説明していた。また新聞各紙、それなりにわかりやすく(?)説明しているようなので、ニュートリノの話はスルー。

(10月10日追記:科学雑誌とは日経サイエンスの1999年10月号。記事の筆者はE.カーンズ、梶田隆章、戸塚洋二の3名連記で13ページにわたる大作。再読したところ、質量は0.03~0.1eV。次に軽い素粒子は電子でその質量は51万eV。桁違いに軽いので無視されて標準理論が成立していたが、いくら軽くてもあると無いとは大違いということ)

書きたかった話は世界の認識の仕方。日経新聞に素粒子のサイズについての解説があった。素粒子はとても小さいという趣旨なのだが、それはそれとしてポイントは原子と原子核の部分。昔気が付き、大きな感動を覚えたので死ぬ前に記しておく。
20151007素粒子サイズ

電子や陽子、中性子、ニュートリノを含め一般に素粒子と呼ばれるが、日常生活でイメージされる粒ではない。例えば砂粒を半分に切れば鉱物の結晶が詰まっているが、電子を切っても何か詰まっているわけではない。むしろ、「粒子」と呼ばれるが形などないといった方が真実に近い。概念上粒として考えるとわかりやすいだけといっても良い(ちょっと言いすぎかな)。でも、素粒子が集まって原子ができ、分子があり、細胞があり、手があってちゃんと触れるじゃないか、という否定しようのない指摘が想定される。そこが本論。

上図では原子の大きさが1/1000万ミリで、原子核が1/1兆ミリ、原子の大きさの10万分の1だ。原子が半径1m(直径2m)の運動会の玉ころがしの張りぼてとすると、原子核は半径0.01ミリの塵。それでも原子核が重いので質量はある。原子の外郭というか張りぼての皮の部分は、原子核よりはるかに小さい電子が飛び回っている雲のようなもの。ただし電子の数は最大でも100個ほどしかない。皮と原子核の間には何があるか?何もない。原子が直径2mの玉だとすると、10m離れてこの原子の写真をスポーツモードで撮ったら何も映っていないだろう。質量の周りの空っぽの空間、それが原子。

原子が集まって分子ができ細胞があり人の手を握ることができる。でも実態は何もない空間。それが地球という星であり生き物であり人の実相なのだ。色即是空。

こんなことに感動を覚えるってヘンなのかな。
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