風の行方とハードボイルドワンダーランド

再雇用の機会を捨て自由な時と空間を・・・ 人は何のために生まれてきたのだろうか? これから本当の旅がはじまる・・・

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灯台マニア

今朝の日経新聞のおまけ、NIKKEIプラス1の「何でもランキング」の特集は絶景の灯台。1位として紹介されていたのが出雲の日御碕灯台。大々的な写真なので嫌でも目についた。
20170422灯台

この灯台、2014年の10月に訪れている。もう2年半前だ。この時の旅の模様は「山陰の旅(1)-(3)」として記載したので詳細は略→山陰の旅(2)

ベスト10にはさらにこの時訪れた美保関灯台が7位でランクイン。また9位の潮岬灯台もやはり2014年の7月に訪れている→ダイオウグソクムシとパンダを巡る冒険(4)。8位の観音崎にも行ったことあり。と、確実に4つも訪れていた。多分6位の尻屋崎も昔行ったことがあるはずだが記憶は曖昧。実は隠れ灯台マニアだった、と言っていいかもしれない。
20170422灯台2
20170422灯台3

弾道ミサイル

3月5日の北朝鮮弾道ミサイル発射実験。北朝鮮ミサイル3

ミサイルには大きく分けて、弾道ミサイルと巡航ミサイルがある。この二つ、全く別物と言っていいぐらい異なるのだが、その違いがどのぐらい世の中で認識されているのかちと不安、妻に尋ねたら知らなかったから。知らないのはお前の家だけ、という批判はご容赦のほど。

ミサイルというとイラク攻撃のようなものを思ってしまうが、あれは巡航ミサイル。飛行機のように翼とジェットエンジンで水平飛行するミサイルで、艦船や爆撃機から発射される。ジェットエンジンで飛ぶため、高度は低く速度もトマホークで880km/時ほど。

一方弾道ミサイルは、ロケットで高度数百~千キロメートルの大気圏外へ打ち上げられ、その後弾頭の飛行体が慣性と重力により自然落下するというミサイル。いわゆる放物線を描くので弾道飛行と呼ばれ、目標に到達する。説明より下図を見た方が分かりやすいだろう、出典はこちらwith thanks →こちら

弾道ミサイル軌道

最初のポイントは高度。放物線を描くので遠距離の場合、すなわち大陸間弾道弾は高く上げねばならず高度1000キロメートルを越え、1000キロ程度の近距離弾道ミサイルでも高度100キロメートルを超える。国際線の飛行機の巡航高度が10キロぐらい、国際宇宙ステーションの起動が413-418キロ、ハッブル宇宙望遠鏡が559キロ。人類初の有人飛行である1961年のボストーク1号は、遠地点327キロ近地点169キロなので、いかに高いというか、宇宙旅行と同じ、もしくはそれよりはるかに高い(ICBMのケース)。落下は物理法則に従うのでかなりの精度で軌道を計算できるが、打ち上げ時にはロケットという人の設計要素が入ってくるので、発射地点=発射時の計画の着弾点との誤差はまぬかれない。なお図ではロケットと飛行体も描き分けられている。

次がのポイントが速さ。速さは大気圏再突入前が最高となるらしい。ICBMで秒速(!)6キロメートル、近距離でも2キロメートルに達する。

以上が基礎知識。北朝鮮の東倉里から東京までは1300キロほどというのがもう一つの基礎知識。
北朝鮮ミサイル1

さて問題は、もし弾道ミサイルが東京を目標に発射されたら迎撃できるかどうか。迎撃ミサイルは、落下している段階での飛行体を狙う。途中では高すぎて届かないから。特にPAC-3は大気圏に突入してから飛行体を対象にしている。速さは秒速1.7キロ。いろいろと技術的な改良が加えられ進化しているとはいえ、秒速2キロで落下する物体を下から狙い撃つという状況に変わりはない。飛行体は1/1000秒で2メートル動く。撃ち落とすという事は三次元空間において両者が同時刻に同地点に存在するという事なので、いかにも難しそう。実際防衛関係者も100%迎撃可能とは言っていない。

では、どうしようもないかというとそうではない。以上は物理の話。現実的には、もし北朝鮮がノドンを東京に向けて発射すれば、米軍の巡航ミサイルによって北朝鮮のすべての軍事施設は破壊される。さらに国土の主な施設は徹底的に空爆されるだろう。だから北朝鮮はミサイルを発射しない。それが軍事的抑止力。日本には安保反対という日本人がいるそうだが。

残雪

昨日、アメダス藤原の積雪深が0になった。今年の積雪深、並びにこれまでの最も雪の多かった年(赤)と少なかった年(青)、そして一昨年の積雪深の推移を図示したのが下図。今年はスキーに行けなかったほどの大雪の印象があるが上には上がある。
2017積雪深推移

ただ雪が消えたと言っても、アメダス藤原の積雪深観測機の測定地点では雪が消えたというだけ、大芦にあるみなかみ町の今朝のライブ画像ではまだまだ残雪は豊富に残っている。山荘の庭にも厚い残雪が残っていることだろう。
201704200910.jpg

参考までに、藤原アメダス(赤)、大芦ライブカメラ(緑)、山荘(青)の位置関係を示したのがこの地形図。赤と青の直線距離は2キロメートルほどと近い。一方標高はそれぞれ700メートル、785メートル、850メートルと標高差は150メートルほど。どうも地形と標高の差が、積雪量もしくは残雪量の差になっているようだ、他の要素を思いつかないから。
アメダス付近図

先日ダム巡りをした時に、大芦のライブカメラ探しをした。カメラの映像がどこであるかはわかっているのでその辺を探すがカメラらしきものはなかった。唯一怪しいのが電柱上部のこの機器。カメラには見えないが、ガラスの半球の中にカメラが入っているのだろう。バス停と電柱の間に立って写真を撮ると、ライブ画像とぴったり。長年の疑問がひとつ解決した。
20170410-42.jpg 20170410-41.jpg

「ラーメンな女たち」

上野の東京文化会館大ホールでの矢野顕子と上原ひろみのライブに行ってきた。グランドピアノ2台だけの二人の天才ピアニストによる共演。二人揃って登場し、いきなり始まった「ラーメン食べたい」。矢野の歌で始まるが、後は2台のピアノによるジャズとかクラシックをとかの枠を超越したピアノの協奏曲。超絶技巧の上原ひろみのピアノが主で矢野は伴奏という形だが、二人の気が溶け合って異様な興奮と感動が高まっていく。10分近い演奏が終わると満員の観客の拍手が凄い。以下前半に6曲、全て10分近い熱演。休憩を挟み、プログラムの最後曲がなんと「ラーメン食べたい」。同じ曲だが演奏が異なり新たな曲を聴く感じ。涙が出そうになるぐらいの感動だった。終了後は観客総立ちのスタンディングオベーション。これまで矢野顕子のライブは数多く聴きに行ったが、ピアノ芸術の完成形として最高、もしかしたら世界的に見ても歴史的ライブだったかもしれない。

と書いても、「ラーメン食べたい」にどうしてそんな感動できるのか想像することは不可能と思う。ところが、28日(金)8時からのテレビ朝日の「ミュージックステーション」に矢野顕子と上原ひろみが出演し、「ラーメン食べたい」を演奏するという。会場にはテレ朝の花輪も出ていた。ライブでは10分ぐらいをかけて最後は上原ひろみの渾身のピアノで感動の頂点に達するのだが、テレビでどの程度の枠が与えられ、どの程度のライブの感動が伝わるのか疑問だが、是非一見のほど。歌という枠を遥かに超えた世界という事はわかるだろう。

さらにホットニュース、5月13日(土) 18:00-18:30放送予定フジテレビ系「MUSIC FAIR」にも出演が決定したという。

ラーメンな女たち

「何かが道をやってくる」

先日書いた「松岡正剛の千夜千冊」をパラパラと眺める。彼の書評というかその本に基づく随想は、一人につき一回しか書かかれない。1600夜という事は1600名の作者について書かれているわけだ。そのため一回の記事の背景には多数の直接書かれることのなかった本が横たわっている。例えば、村上春樹の本を何冊も読んでいることは他の本の記事で言及されまた引用もあることから明らかだが、村上春樹の作品については記していない。書くに足らないからだろう。それら1600超の記事は9つの分野に分類されてをり、読者への便宜が図られている。ただしその分野名も見ただけではなんだかわからないので、クリックして開くほかない。
千夜千冊    千夜千冊170416


またページよって体裁がいくつかあるようなのだが、先に引用した第4夜の「皇帝の新しい心」のページには、「各篇の最新夜」という紹介が左カラムにあり、最新の本というか記事が示されていた。更に「各篇の最新夜」に並んで「番外録」という欄があり、最新の本ではなく「0110夜 レイ・ブラッドベリ 『華氏451度』」、と書かれていた。2000年8月に書かれたもので、それだけが古く異質。

確か高校生の時、ラジオの朗読、そんな番組が当時あった、で、「火星年代記・月は今でも明るいが」流れた。今でも覚えているぐらい鮮烈な印象を覚え、その時レイ・ブラッドベリの名が頭に刻まれた。最初に買った彼の本は「何かが道をやってくる」だったような気がする。先ほど物置から埃にまみれたその本を引っ張り出した。1971年3月の12版で、190円とあった。以降買い求めた何冊かが同じように埃にまみれていた。

という背景があって、気になりクリックして110夜を開いた。長文の『華氏451度』に関する随想に続き、このように記されていた。氏には遠く及ばないにしても、どこか同類の匂いがあるのかもしれない。

ぼくはレイ・ブラッドベリの作品のほとんどを読んでいるが、最初に唸ったのは『火星年代記』であった。・・・・ ついで『黒いカーニバル』と『十月はたそがれの国』に驚いた。この人に会いたいとおもったのはこのときである。ついで『ウは宇宙船のウ』『スは宇宙のス』を、フレドリック・ブラウンの『狂った宇宙』とともに読み耽った。・・・・  が、とくにぼくがやられたと思ったのは、『何かが道をやってくる』である。これは冒頭からやられた。「嵐の空模様のシャツを着た男が避雷針を売りにきた」というものだ。

今こんな記事を読むと、突然40年前に連れ去られたような異様な気分に・・・・。

20170418.jpg

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